レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/02/12
- 登録日時
- 2015/03/25 00:30
- 更新日時
- 2022/02/12 16:51
- 管理番号
- 6000020721
- 質問
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解決
「白夜」という言葉について、一般的な読みである「ビャクヤ」は実は誤読で、本来は「ハクヤ」が正しい読みであったが、俳優の森繁久弥が作詞作曲した『知床旅情』という歌で、「白夜」が「ビャクヤ」と歌われたことから「ビャクヤ」と読まれるようになった、とテレビ番組で解説されていた。
しかし『知床旅情』が世に出る以前から、「ビャクヤ」と読んでいたような記憶がある。それがわかる資料はあるか。
- 回答
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当館で契約している商用データベース『聞蔵Ⅱビジュアル』にて、「白夜」をキーワードに朝日新聞記事を検索し、当館で閲覧可能な記事のうち古いものから順に確認した。すると昭和38年(1963年)7月11日夕刊1P掲載の「白夜の旅 カナダ・エスキモー」という記事にて「白夜」に「はくや」と読みがふられていることが確認できた。
しかし、昭和33年(1958)3月31日夕刊4Pと、昭和39年(1964)5月20日夕刊8P掲載の映画広告では「白夜」を含む映画タイトルに「びゃくや」と読みがふられている。
これらの記事から、『知床旅情』が作られ流行した昭和40年(1965)代以前は、新聞等では「ハクヤ」と読まれていたが、映画タイトル等においては「ビャクヤ」と読ませることもあったことをうかがい知ることができる。
文化庁編集の『言葉に関する問答集』(大蔵省印刷局)P378-380にも詳細な解説がある。
- 回答プロセス
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『広辞苑 第6版』(岩波書店)で「びゃくや」P2390を調べると「⇒はくや」とあり、「はくや」P2239を調べると「北極または南極に近い地方で、夏、日没から日の出までの間、散乱する太陽光のために薄明を呈すること。また、夏至のころの日が沈まない夜。びゃくや。」と解説があった。これにより「ハクヤ」が本来の読みであることがうかがえる。
加えて『日本国語大辞典 第2版 11』(小学館)にて「びゃくや」P497を調べると「はくや(白夜)におなじ。」とあり、『日本国語大辞典 第2版 10』(小学館)の「はくや」P1050の項に解説がある。こちらからも「ハクヤ」が本来の読みであることがうかがえる。
次に「白夜」「読み方」のキーワードでインターネット検索したところ、『NHK放送文化研究所』のサイトに「放送現場の疑問・視聴者の疑問」として「『白夜』の読み方は?」というページ(http://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimon/057.html)があり、解説の中に「昭和40年代に登場した森繁久弥さんの『知床旅情』で『♪はるか国後(クナシリ)に 白夜[ビャクヤ]は明ける♪・・・』と歌われたことが、[ビャクヤ]が広まる一つの引き金になったとみる人が多いようです。NHKが、昭和55年(1980年)に行った有識者アンケートでは、『白夜』の読みについて実に9割以上の人が[ビャクヤ]と回答していました。それまで放送では[ハクヤ]の読み方だけしか認めていませんでしたが、[ビャクヤ]も認めることになったのです。今では、[ビャクヤ]と読み、場合により[ハクヤ]と読んでもよいことにしています。」とあった。
この解説において参考文献として『ことばのハンドブック』が挙げられており、当館所蔵の『NHKことばのハンドブック 第2版』(日本放送協会出版)にて「白夜」P172を確認したところ、「読み ①ビャクヤ ②ハクヤ」とあり、現在放送においては主に「びゃくや」と読まれていることがわかった。
『知床旅情』について調べるため『日本流行歌史 下』(社会思想社)を見ると、『知床旅情』は昭和45年(1970)に流行した歌として掲載されており、P203-204にその歌詞に加え「1965年(昭和40)、森繁が自分のプロダクションの第1回作品『地の涯てに生きるもの』で知床にロケした時作った歌。加藤登紀子の歌で大ヒット。」との解説があった。
『知床旅情』が作られた昭和40年(1965)以前のことについて調べるため、昭和30年(1955)発行の『広辞苑』(岩波書店)にて「白夜」を調べたところ該当のP1828に「びゃくや」の掲載はなく、「はくや」P1719のみ掲載されていた。
昭和51年(1976年)発行の『広辞苑 第2版補訂版』には、「はくや」P1777に加えて「びゃくや」P1892の掲載があり、昭和30年から昭和51年までの約20年の間に「びゃくや」読みが定着したことがわかり、これは『知床旅情』のヒットの時期とも重なる。
オンラインデータベース『聞蔵Ⅱビジュアル』にて、「白夜」をキーワードに朝日新聞記事を検索し、当館で閲覧可能である古いものから順に確認したところ、昭和27年(1952)7月14日夕刊P3掲載の記事(*1)から閲覧することができ、昭和38年(1963)7月11日夕刊1P掲載の「白夜の旅 カナダ・エスキモー」という記事に「はくや」と読みがふられている箇所が確認できた。
しかし、昭和33年(1958)3月31日夕刊4P(*2)と、昭和39年(1964)5月20日夕刊8P(*3)掲載の映画広告では「白夜」を含む映画タイトルに「びゃくや」と読みがふられている。
これらの記事から、『知床旅情』がヒットする以前の昭和30年代は、新聞の表記では「ハクヤ」だが、映画タイトルにおいては「ビャクヤ」と読ませることもあったことをうかがい知ることができる。
昭和62年(1987年)5月18日朝刊1Pの「天声人語」には「白夜なども本当はハクヤだそうだが、森繁さんの『知床旅情』の歌詞があまりに有名だからと、ビャクヤでもよいとしている」との記述があり、昭和60年代には「ハクヤ」よりも「ビャクヤ」が一般的になっている様子がうかがえる。
ではなぜ「ハク」を「ビャク」と読んだかについては、昭和50年(1975年)7月13日朝刊16P掲載の山口青邨による「三艸書屋雑筆」にて「白夜」の読み方についての記述があり、大正8年(1919年)当時シベリアに滞在していた折に「白夜の現象を体験、ベーラヤ・ノーチという言葉を覚えた」という山口青邨によれば、「さて白夜をどう読むか。私は最初からはくやと言って来た。後で誰かがびゃくやと言ったのであろう。(略)はくでよいのをびゃくと読み、高級になる気がしたのであろう。(略)何もかもお経読みにしなくてもよい。」との記述がある。
仏教用語で「白」を「びゃく」と読むことは、前述の、『NHK放送文化研究所』「『白夜』の読み方は?」というページの解説の中でもふれられている。
この記事からは「白夜」という言葉が「ベーラヤ・ノーチ」という言葉に由来していることもうかがい知ることができる。「ベーラヤ・ノーチ」をキーワードにインターネット検索したところ、JALホテルズの館内誌『ファウンテンズVol.72』がヒットし(ページ削除2022年2月12日確認)、中村孝則のコラム「行かずに死ねるか」P36の中に、「白夜とは、緯度が66.6度以上の地域でみられる、太陽がまったく沈まない現象のこと。最北端の択捉島ですら45度33分という日本には、そもそもその言葉すら無かった。ドフトエフスキーの有名な小説に『白夜』があるように、白夜はロシア語のベーラヤ・ノーチ(白い夜)を直訳したもの。」という記述があった。
これを受けて『研究社和露辞典』(研究社)P927にて「白夜」を調べると「Белые ночи」とあり、『研究社露和辞典』(研究社)にて「Белые」を調べると、主な意味として「白い、白色の」という意をもつ「белый」P82-83の項目に、「(日が出て)明るい」の意の例として「Белые ночи 白夜」が掲載されている。また「ночи」P1221を調べると「夜」の意味が挙げられている。これらのことからも「白夜」という言葉が、実際に白夜現象が起こるロシアにおいてその現象を指す言葉である「Белые ночи」をほぼ直訳に近い形で訳語に用いられた様子がわかる。
以上のことから、昭和40年(1965)代に『知床旅情』が作られ流行する以前「白夜」は、「ビャクヤ」と読まれることもあったが、正しい読みは「ハクヤ」であるとされていた。しかし『知床旅情』の流行により「ビャクヤ」という読み方が世間一般に広まり、「ビャクヤ」の方が一般的な読み方として定着した、ということが推測される。
『知床旅情』と「白夜」に関わる話題としては他にも、商用データベース『日経テレコン21』にて「知床旅情」「白夜」をキーワードに調べたところ、平成21年(2009年)11月20 日日本経済新聞朝刊P40掲載の「文化往来」に、「亡くなった森繁久弥さんがあるとき、国文学者の池田弥三郎さんから言われたという。『知床旅情のビャクヤは明ける、あの白夜ね、正しくはハクヤと読むんだ』。森繁さんはすかさず返した。『じゃあ先生、会津で死んだ男たちはハッコタイというんですか』/東京やなぎ句会の「大句会」で、評論家の矢野誠一さんが披露した話だ。」という記事があった。
この内容について、池田弥三郎著『暮らしの中の日本語』(創拓社)に詳細な記述があるとの情報がインターネット上の個人サイトに記載されていたので該当の図書を確認すると、P221に「森繁君の『知床旅情』が、『いいあんばいに』はやらなかったのが、ここのところで急にはやりだして、そして、歌の流行につれて、とうとう、『白夜』をビャクヤなどと発声したいやなことばが全国的になった。あれはハクヤである。ビャクという呉音に、文学味芸術味を感じ、正しい言い方を犠牲にしてしまったのである。森繁君は、流行のいきおいにのって、どしどし唄を作り、自作自演するだろうし、大いに結構だが、『白衣の天使・白衣の勇士』は『ハクイ』であって、『白衣観音』は『ビャクエ』カンノンである。(略)看護婦が着ているのは、ハクイで、ビャクイでも、ビャクエでもない。」とあった。
「ビャクヤ」読みは呉音の読み方であるということを受けて、『角川大字源』(角川書店)にて「白」P1215、「夜」P406について調べると、「白」の読み方として「ハク(漢)ビャク(呉)」とあり、「ビャク」が呉音の読み方であることがわかる。用法「白夜」P1218の記載もあり「ハクヤ/ビャクヤ」と両方記載されていた。「夜」については「ヤ(漢呉)」とあった。またP2047-2048に呉音と漢音についての解説がある。
呉音と漢音については『漢字百科大事典』(明治書院)P50-51によると、「全漢字に対応し得る生産的な音は漢音の方なのであって、古く呉音で読まれなかった漢字は、新たにまた呉音では読み得ぬからである。」との解説があり、このことにより、古来から日本にあった言葉ではない「白夜」を「ビャクヤ」と呉音で読むことは誤りとされていたと推測される。
また『聞蔵Ⅱビジュアル』から、昭和46年(1971)年12月21日朝日新聞朝刊P1「天声人語」には、「白夜の間違った使い方をもうひとつ。今年いちばんのヒット歌曲という『知床旅情』に「はるかクナシリに白夜は明ける」とある。事実は知床、クナシリに白夜はない」との記述。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『広辞苑』新村 出/編(岩波書店) (P2390,P2239)
- 『日本国語大辞典』第11巻小学館国語辞典編集部/編集(小学館) (P497)
- 『日本国語大辞典』第10巻小学館国語辞典編集部/編集(小学館) (P1050)
- 『NHKことばのハンドブック』NHK放送文化研究所/編(日本放送出版協会) (P172)
- 『日本流行歌史』下 古茂田 信男/[ほか]編(社会思想社) (P203)
- 『広辞苑』新村 出/編(岩波書店) (P1719,1828)
- 『広辞苑』新村 出/編(岩波書店) (P1777,1892)
- 『研究社和露辞典』藤沼 貴/編(研究社) (P927)
- 『研究社露和辞典』東郷 正延/[ほか]編(研究社) (P82-83,1221)
- 『ドストイヱーフスキー全集』 第12巻 ドストイヱーフスキー∥[著] 市橋/善之助∥訳 (冬夏社)
- 『白夜の旅』東山 魁夷/[著](新潮社)
- 『白夜の国ぐに』北川 楊村/著(三一書房)
- 『漢字百科大事典』佐藤 喜代治/[ほか]編集(明治書院) (P50-51)
- 『角川大字源』尾崎 雄二郎/[ほか]編(角川書店) (P406,1215,1218,2047-2048)
- 『言葉に関する問答集』文化庁/編集(大蔵省印刷局) (P378-380)
- キーワード
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- 白夜(ビャクヤ/ハクヤ)
- 読み(ヨミ)
- 誤読(ゴドク)
- 語源(ゴゲン)
- 言葉(コトバ)
- 知床旅情(シレトコリョジョウ)
- 森重久弥(モリシゲヒサヤ)
- 加藤登紀子(カトウトキコ)
- 天声人語(テンセイジンゴ)
- 山口青邨(ヤマグチセイソン)
- 三艸書屋雑筆(サンソウショオクザッピツ)
- 中村孝則(ナカムラタカノリ)
- 池田弥三郎(イケダヤサブロウ)
- 漢音(カンオン)
- 呉音(ゴオン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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*1)昭和27年(1952)7月14日夕刊P3「白夜に困る各国選手_ヘルシンキ便り」
*2)昭和33年(1958)3月31日夕刊P4「イタリフイルム社『白夜』」(ルキノ・ヴィスコンティ監督作品)
*3)昭和39年(1964)5月20日夕刊8P「日活『怪談白夜の妖女』」(滝沢英輔監督作品)
昭和40年以前の「白夜」とタイトルにつく文学作品について、大正10年(1921年)発行の『ドストイヱーフスキー全集 第12巻』(冬夏社)所収の『白夜』、昭和38年(1963年)発行の東山魁夷著『白夜の旅』(新潮社)、昭和38年(1963年)発行の北川楊村著『白夜の国ぐに』(三一書房)などを確認したが、いずれも読みがふられているものはなかった。
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000169806