レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年06月27日
- 登録日時
- 2018/08/26 14:50
- 更新日時
- 2019/04/23 15:07
- 管理番号
- 吹-60-2018-005
- 質問
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解決
竹中邸馬上門(たけなかていばじょうもん)についての本
- 回答
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竹中邸馬上門とは、江戸時代に庄屋を勤めた竹中家の表門。場所は、大阪府吹田市山田東(すいたしやまだひがし)2-17
騎馬のまま通ることが出来ることから、馬上門と呼ばれた。(下記回答資料より要約)
(1)『グラフわが町すいた No.25 歴史さんぽ特集号』(吹田市広報課 1996.3)
p4写真とキャプション「200年ほど前に建てられたとされています。長屋に組み込まれた馬上門は当時の大庄屋の門構えを伝えています。」
(2)折りたたみ地図資料『山田・千里丘界わい散策案内』(吹田市文化のまちづくり室 2004)
写真とキャプション「かつて、馬上門のある庄屋屋敷がここにありました。屋敷はマンションに姿をかえたのですが、馬上門は残され、和風のエントランスになっています。」
(3)『写真集 明治大正昭和 吹田』(池田半兵衛/編 国書刊行会 1985.5)
p25写真とキャプション「永禄年間、竹中善太夫(ぜんだゆう)の長子・善治(よしはる)(法明・法忍(ほうにん))が紫雲寺(しうんじ)に入り住職となる。竹中家は次子の善介(ぜんすけ)が相続し、連綿として今に続く。江戸時代には庄屋を勤め、特に淀藩の財政に功労があったので名字帯刀、馬上門を許された。馬上門は藩の家老・重臣を迎えるためであったが、明治二〇年~三〇年ごろ三島郡(みしまぐん)長となった竹中慶次郎(けいじろう)さんは、馬上門を乗馬で通って茨木へ通勤したのである。」
(4)『山田郷土史山田のあゆみ』(山田自治会郷土史編纂委員会/編集 山田自治会郷土史編纂委員会 2001.3)
p78馬上門ではないが、竹中邸の部分写真有り。
- 回答プロセス
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当館作成の「件名データベース」で検索したところ、(1)に記載ページがあると分かった。
他に大阪府吹田市の山田地区に関する資料を探したところ、(2)~(4)が見つかった。
(2)に住所が記載されていた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
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- 歴史さんぽ特集号 : グラフわが町すいた No.25. 吹田市広報課, 1996.3. p.4
- 山田・千里丘界わい散策案内. 吹田市文化のまちづくり室, 2004.
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池田半兵衛 編 , 池田, 半兵衛. 写真集明治大正昭和吹田 : ふるさとの想い出303. 国書刊行会, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002610080-00 - 山田自治会郷土史編纂委員会/編集. 山田郷土史山田のあゆみ. 山田自治会郷土史編纂委員会, 2001.3. p.78
- キーワード
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- 竹中邸馬上門(たけなかていばじょうもん)
- 竹中屋敷馬上門(たけなかやしきばじょうもん)
- 大阪府(おおさかふ)
- 吹田市(すいたし)
- 吹田市山田東(すいたしやまだひがし)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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調査したが、記載が無かった資料
『グラフわが町すいた No.18 市立博物館・文化遺産特集号』(吹田市広報課 1992.11)
『グラフわが町すいた No.30 守り伝えよう、わが町の歴史と文化』(吹田市広報課 1998.12)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000241269