レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年2月22日
- 登録日時
- 2017/10/07 16:55
- 更新日時
- 2018/03/09 16:23
- 管理番号
- 吹-10-2017-003
- 質問
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解決
吹田(すいた)にあったといわれる山田城跡絵図がみたい。また山田城の場所や大きさなどを知りたい。
- 回答
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(1)『山田郷土史山田のあゆみ』(山田自治会郷土史編纂委員会/編集 山田自治会郷土史編纂委員会 2001)
p.61 「山田城跡絵図」の小さな写真あり。(「東摂州城址図誌」からの引用)
p.60~62 山田城址についての考察あり
「『東摂州城址図誌』(日本城郭大系・新人物往来社・昭和56年)及び『摂州山田荘中村・絵図面』天保4年(1833)と、小字名・旧地形・水路等を考慮して場所の特定を試みました。(中略)南側の境界は、中村と小川の境界にほぼ一致し、山田川に達し、また、北側の境界は、大峰(墓地)から北北東に下り、市民体育館付近より北東に曲がり、山田東二丁目と山田東四丁目の境界を直進して旧道に交わる領域内(約100,000㎡・約30,000坪)と推定することができました。」
(2)『好きやねん史「すいた・千里」』(池田 半兵衛/著 創芸出版 1987.10)
p.133 「山田城興亡」と題した記述あり。その中に、
「山田川を自然の堀とし、西は葛上の台地(西山田)にかかる、いわゆる平山城(ひらやましろ)である。櫓の前、古城、角矢(倉)などの地名がいまも残り、城内は南北七十間、東西百間と伝える。」と広さについて記述あり。
- 回答プロセス
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当館の検索機でキーワード「山田城」で検索しても該当する資料がなかった。
地域資料の中から、山田村地域に関する歴史の資料を探した。
山田城址については下記の資料にも概要の説明があった。
『大阪府全志 巻之3 』(井上 正雄/著 清文堂 1985) p.1029、p.1373
『日本歴史地名大系 28-[1] 』(平凡社 2001)
p.240 「山田中村(やまだなかむら)」の項
「現山田東二丁目に山田城跡があった(現在は壊滅)。伝えによれば元弘年間(1331-34)赤松則祐の築城というが(大阪府全志)、史料的裏付はない。「摂津志」によれば戦国時代には香西玄蕃が同城に拠り、属城13を数えたというが、詳細は不明。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 『山田郷土史山田のあゆみ』(山田自治会郷土史編纂委員会/編集 山田自治会郷土史編纂委員会 2001)
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池田半兵衛 著 , 池田, 半兵衛. 好きやねん史「すいた・千里」. 創芸出版, 1987.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001927545-00 , ISBN 4915479269 -
井上 正雄/著 , 井上‖正雄. 大阪府全志 巻之三. 清文堂出版, 1985.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I012820318-00 -
日本歴史地名大系 28‐[1]. 平凡社, 1986.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I000049058-00 , ISBN 458249028X
- キーワード
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- 大阪府(おおさかふ)
- 吹田市(すいたし)
- 山田城(やまだじょう)
- 山田城址絵図
- 山田城跡絵図
- 城絵図
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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下記の資料には山田城についての記載はなかった。
『大阪府中世城館事典』(中西 裕樹/著 戎光祥出版 2015.8)
『北摂の戦国時代』(吹田市立博物館/編集 吹田市立博物館 2009.10)
『図解近畿の城郭 4』(中井均/監修 戎光祥出版 2016.3) この本に載っている山田城は大阪府豊能町にあった別の城。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000222869