レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年1月9日
- 登録日時
- 2017/10/10 12:51
- 更新日時
- 2018/03/09 16:22
- 管理番号
- 吹-10-2017-005
- 質問
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解決
昭和40年頃に「千里野外彫刻展」があった。その彫刻展で、スポンサーのついた彫刻が千里ニュータウンあたりの公園、千里南公園や千里北公園などに置かれている。その彫刻展の彫刻、作者などの一覧はないか。
- 回答
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下記の資料に一覧が載っていた。
(1)『千里南公園の文化紹介 人・もの・自然の宝庫 改題改訂版』(千里南公園文化探訪実行委員会 2007)
p.24「千里ニュータウンにある彫刻などの一覧」に「昭和42年、第1回千里野外彫刻展(大阪万博に向け千里NTを紹介するため千里南公園で開催)作者26名、作品30点。」の表あり。
p.16 第1回千里野外彫刻展入口のアーチだった「人の形のモニュメント」の写真あり。
ただしこれは、「出展作品ではないからとの理由でネームプレートが外されたという話が伝わっています。」と解説がついている。
p.17 出展作品の内、千里南公園に残された4点の作品の写真あり。
p.26「1967年(昭和42年)第1回千里野外彫刻展当時(太平洋セメント(株)提供)と現状(抜粋)」に、開会式の様子や、当時と現在の彫刻の設置状態を比較する写真あり。
(2)『千里タイムズ 1~237 昭和37年6月至昭和44年12月』(吹田市立図書館 1962)
昭和42年5月5日刊の130号の4面に「力作に連日賑わう 千里野外彫刻展始まる」との記事あり。
作者名と作品名の記述(五十音順)が載っている。
<千里野外彫刻展について>
回答資料1)p.25「第1回千里野外彫刻展に関連した野外彫刻展の経過」によると、1967年(昭和42年)4月29から5月28日の間、大阪万博のアピールのため千里ニュータウンで開かれたとのこと。
野外彫刻展自体は戦後の荒廃に潤いをという呼びかけに対して、白色セメントの需要拡大を目指した当時の小野田セメント(現・太平洋セメント)が協賛したことをきっかけに始まった。1951年(昭和26年)東京・日比谷公園で第1回が始まり、1973年(昭和48年)東京・晴海での「建築とともにある彫刻展」で幕を閉じるまで計23回にわたり毎年1回開催されたとのこと。
- 回答プロセス
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当館の検索機でキーワード「千里野外彫刻展」で検索しても該当する資料はなかったので、吹田の地域資料のうち公園を扱った資料から探した。
回答資料1)のp.28「調べた文献など」に載っていた資料からも探した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629 8版)
- 彫刻 (710 8版)
- 参考資料
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- 『千里南公園の文化紹介』(千里南公園文化探訪実行委員会 2007.5)
- 『千里タイムズ 1~237 昭和37年6月至昭和44年12月』(吹田市立図書館 1962)
- キーワード
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- 大阪府(おおさかふ)
- 吹田市(すいたし)
- 豊中市(とよなかし)
- 千里ニュータウン(せんりニュータウン)
- 千里野外彫刻展(せんりやがいちょうこくてん)
- 千里南公園(せんりみなみこうえん)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000222903