レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20110330
- 登録日時
- 2011/04/27 02:00
- 更新日時
- 2011/04/27 02:00
- 管理番号
- A110326192110-1
- 質問
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解決
雑誌『中央公論』、『太陽』の大正6年(できれば10月頃)の発行部数について知りたい。
つきましては貴館所蔵の以下の資料に、それぞれの雑誌の発行部数について、または読者数等の発行部数が類推できるような記述の記載があるか調査をお願いします。
『博文館五十年史』博文館(貴館請求記号:732-61)
- 回答
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当該資料には、明治20年から昭和12年までの博文館に関わるできごとが、年ごとにまとめて掲載されています。
目次を通覧したところ、明治28年に「『太陽』の創刊」(pp.93~98)が掲載されており、以降昭和2年の「『太陽』の廃刊と編集局主幹更迭」(p.307)まで、「太陽」に関する事項が多数掲載されています。ただし、いずれの項目にも大正時代の発行部数に関する記載は見当たりませんでした。
また、巻末に「博文館出版年表」があり、雑誌の部『太陽』の欄を確認しましたが、発行回数、創刊・廃刊年月、発行期間の他は記載されていませんでした。
当館請求記号 732-61
タイトル 博文館五十年史
責任表示 坪谷善四郎編
出版者 博文館
出版年 昭12
形態 334,218p
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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○雑誌『太陽』について
『雑誌『太陽』と国民文化の形成』(貴館請求記号:UM84-G43)
警視庁統計表が出典の表「新聞雑誌年間発行部数」があるが明治28~32年までの記載。また、「『太陽』が、おそらく大正三、四年から低落傾向に入り、後発の『中央公論』に追い上げられたこと」(p28)といった記述はあるが部数の記載は確認できなかった
『博文館『太陽』の研究』(貴館請求記号:UM84-3)
「Ⅰ書誌的解題」の章の「3.雑誌の性格」に価格、発行部数について記述がある。p4~5「発行部数は正確なところは不明であるが・・・」と初期の発行部数と第5巻までの各巻最終号の広告欄がうたった部数をのせてある。そして「大正中期以降、内容の低調化とともに発行部数も低迷し、昭和初期には1万部近くになっていたといわれる。」とあるが大正6年頃の発行部数の記載は確認できなかった
『近代出版文化を切り開いた出版王国の光と影 博文館興亡六十年』(貴館請求記号:UE57-J2)
関連記述確認できなかった。
○『中央公論』について
『中央公論社の八十年』(貴館請求記号:023.9-Ty997t2)
大正元年頃の記述として「『中央公論』の発行部数は四万部を超えていた。」(p111)、「大正八年には『中央公論』の発行部数十二万部に対して」(p118)という記述はあるが、大正6年頃の発行部数はわからず。
『雑誌と読者の近代』(貴館請求記号:UG11-G14)
大正三年12月号の新年号「予告広告では「我が十萬読者」と豪語している」(p154)と記載があるが、大正6年頃の発行部数はわからず。
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000085707