レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年02月08日
- 登録日時
- 2012/10/25 18:37
- 更新日時
- 2012/10/25 18:41
- 管理番号
- いわき総合-地域66
- 質問
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解決
白土長門守(しらどながとのかみ)について知りたい。
- 回答
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関係資料を確認しましたが、白土長門守について詳細がわかる資料は見つかりませんでした。
- 回答プロセス
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1.資料を調査
【資料①】『いわき市史 第1巻』
P662に一度だけ登場する。しかし、『いわき市史』は「これらの記述は(中略)疑問があり、なお検討を要するところであろう」と結んでおり、ほかに白土長門守についての記述は見られなかっ た。
【資料②】『会誌岩城』
『いわき市史』から岩城氏の家臣であることがわかったので、本資料を確認。7号P12と8号P11に「白土氏」に関する記事があり、白土摂津守隆通、白土右馬助隆康、白土弾正忠、白土左近、白土若狭守という人物は確認できたが、白土長門守は確認できなかった。
【資料③】『伊達磐城高貫合戦』
【資料④】『岩城姓氏研究 第2号』(P42)
白土長門守が登場するが、『いわき市史』で確認したことしか書かれておらず、詳細な記述は見当らなかった。
【資料⑤】『古殿町史(上巻)』
白土長門守が戦った高貫合戦の地が、現在の古殿町であることから調査するが確認できず。
※そもそも「白土長門守」は存在したのか??
問合せの、『北茨城市史』(上巻)のP315の記述による白土長門守某は、「竜子山記」によるもの。
「竜子山記」は多くの誤りがあると言われている。「竜子山記」は「岡部氏記」によるものが多いらしいが、この「岡部氏記」の岡部氏は口碑伝説を取り入れた著述家の岡部玄徳であるとされている。『北茨城市史』(上巻)のP286に記述あり、白土長門守については、山小屋城主であるという確実な傍証も発見されていない、とある。
『いわき市史 第1巻』のP662に、「磐城史料」による竹貫合戦の記述がありこれには白土長門守とある。しかし、佐藤孝徳氏の「磐城左京大夫親隆について」(『いわき地方史研究 第9号』)では、やはり「竜子山記」について誤りがあることを指摘し、「「磐城史料」が「竜子山記」をあまりに信用して、親隆について、色々誤解している点があるようである」と述べている。
- 事前調査事項
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『北茨城市史』(上巻)のP315
- NDC
- 参考資料
- キーワード
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- 白土氏
- 岩城氏
- 家臣
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000112992