レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年08月10日
- 登録日時
- 2018/09/02 16:43
- 更新日時
- 2018/10/21 14:02
- 管理番号
- いわき総合-地域570
- 質問
-
解決
日本三大祟りのひとつと言われる、下川に伝わる「堅通法師の伝説」について知りたいので、本や記事があれば紹介してほしい。
- 回答
-
「現いわき市泉町)下川の僧に関わる伝説」は、以下の資料に記載されています。
【資料1】『新著聞集(しんちょもんじゅう)』寛延2(1749)年刊)
「僧財を掠奪ひ一族悉く滅す」日本随筆大成 第2期第3巻 P270~272 国会図書館デジタルコレクション 143~144コマ)
*『日本古典文学大辞典 第3巻』(岩波書店1984)によれば、本書は宝永元年(1704)『続著聞集』を紀伊和歌山藩士神谷養勇軒が編集し直して出版したもので、近世説話が数多く収載されている。
*堅通法師とおぼしき僧の伝説では一番古い資料。「奥州菊田郡下河村」と場所が特定されているが、寺名は「羽黒山長寿院」と「宝珠院光明寺」の二つの寺を合わせた「長明寺」になっている。また、江戸時代のいわき地方に実在した「内藤帯刀」、「慧日寺」、「円智」が記載されている。
*『藩史大事典 第1巻』(雄山閣 2015)より、「内藤帯刀」は磐城平藩内藤家第2代藩主「内藤忠興」であり、藩主在位は1634-1670。
*『いわき市史 第6巻』(p237-238)より、寛文二(1662)年に薬王寺と専称寺の争いがあり、寛文四(1664)年に円智が処刑されている。
【資料2】『法師の怨霊』山田慶次郎 1976
*「記録的な決め手はない」としながら、語り継がれた伝説をまとめ、明治から昭和にかけて作られた法師に関する石碑が紹介している。
*「日本三大祟り」は、番町皿屋敷、四谷怪談と、堅通法師が関係する「惣(宗)右衛門たたり」と書いている。
【資料3】『下川郷土史』下川郷土史調査委員会 1982 「下川に今も残る堅通法師の伝説」66-68p
【資料4】『日々の新聞 2007.1』 平成19年8月15日第4面 いわき百物語➁ 「堅通法師の怨霊」
【資料5】『消えた寺院考察』 水沢松次 1989 p16-19
*泉藩廃仏毀釈の記録。「長寿院」と「光明寺」は薬王寺の末寺であり、堅通法師との関わりが紹介されている。また、寛政元年(1789)に宝珠院檀家が村境に「八日供養塔」を建てたが、それは寛政の頃下川村に疫病が流行し、堅通法師の祟りなりとして宝珠院祐廣上人により病を追い払わんとして建立したとの事である、と紹介している。
- 回答プロセス
-
以前から法師の伝説は聞いていたので、【資料2】はわかっていた。書架から泉町の歴史の本を探して【資料3】をみつけた。複数の同僚に相談し、【資料4】、【資料5】を知った。【資料1】は同僚が、Googleで「日本三大祟り いわき」を検索し、怪異妖怪伝承データベースから『新著聞集』を見つけた。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 仏教史 (182)
- 伝説.民話[昔話] (388)
- 参考資料
-
- 『新著聞集』(寛延2年刊)の「僧財を掠奪ひ一族悉く滅す」(日本随筆大成 第2期第3巻 1932 P270~272) (国会図書館デジタルコレクション 143~144コマ)
-
山田慶次郎/著. 法師の怨霊. いわき観光出版部, 1976.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I010463685-00 - 『下川郷土史』下川郷土史調査委員会 1982
- 『日々の新聞 2007.1』平成19年8月15日第4面 いわき百物語➁「堅通法師の怨霊」
-
水沢松次 著 , 水沢, 松次, 1919-. 消えた寺院考察 : 泉藩領廃仏毀釈. [水沢松次], 1989.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001982099-00 - 怪異妖怪伝承データベースhttp://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/3490107.shtml(国際日本文化研究センター)
-
水沢松次 著 , 水沢, 松次, 1919-. 新編泉風土記百選. [水沢松次], 1990.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002082982-00
- キーワード
-
- 日本三大祟り
- 堅通法師
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000241827