レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月17日
- 登録日時
- 2020/01/18 11:25
- 更新日時
- 2020/01/19 17:16
- 管理番号
- いわき総合-地域607
- 質問
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解決
戊辰戦争のとき、輪王寺宮(北白川宮能久親王)がいわきを通り会津へ向かっているが、その際に休憩、宿泊した場所が知りたい。
- 回答
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【資料①】『戊辰の役北白川宮本郡御事蹟誌』、【資料②】『能久親王御遺蹟建碑志』、【資料③】『いわきふるさと大百科』に詳しい行程が記されています。
これによると、慶応4年5月15日に上野を出発した輪王寺宮は、5月28日朝に平潟港(現在の北茨城市)に上陸。その後、いわき市内では次の場所に休憩および宿泊していることがわかりました。
〇5月28日
【休憩】関田
【休憩】中田(錦村大字中田、中田村庄屋の鷺又市宅)
【休憩】植田
【宿泊】甘露寺村慈眼院(泉村大字玉露)
〇5月29日
【休憩】泉田村岡部家(渡辺村大字、泉田村庄屋の岡部要輔宅)
【休憩】湯本の井桁屋(戊辰戦争の際、焼失)
【宿泊】平高月の飯野家(平飯野八幡宮)
〇5月30日
【休憩】合戸で昼食
【宿泊】中寺村
〇6月1日
【休憩】一萱で昼食 その後上三坂を経て小野新町へ
- 回答プロセス
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1.資料を調査
【資料①】『戊辰の役北白川宮本郡御事蹟誌』
昭和2年発行。口絵に来訪先の写真などあり。行程についても詳しい記述あり。
【資料②】『能久親王御遺蹟建碑志』
昭和15年発行。能久親王がいわき地方を訪れたことを記念し碑を建設したことについて詳しく知ることができる。
口絵写真には、北白川宮能久親王の肖像あり。また、来訪先の写真などもあり。
P31~33には、行程について詳しい記述あり。
【資料③】いわきふるさと大百科』
P118「輪王寺宮磐城に入る」に行程の詳しい記述あり。平高月の飯野家門前に立つ標石などの写真掲載あり。
【資料④】『いわき市史 第2巻 近世』
P833~「第七節 輪王寺宮と林肥後守の来平」
甘露寺村の慈眼院は、明治11年9月13日の大風雨の時に崩壊しあとかたもない旨記述あり。
【資料⑤】『いわき戊辰探究』
P15~20に輪王寺宮に関する記述あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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- 【資料①】『戊辰の役北白川宮本郡御事蹟誌』[K/210.6-1/カ・1110047444]
- 【資料②】『能久親王御遺蹟建碑志』[K/288/キ・1111946909]
- 【資料③】『いわきふるさと大百科』[K/210.1-1/イ・1112164353]
- 【資料④】『いわき市史 第2巻 近世』[K/210.1-1/イ・1110038583]
- 【資料⑤】『いわき戊辰探究』[K/210.6-1/ナ・1114111980]
- キーワード
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- 戊辰戦争
- 輪王寺宮 りんのうじのみや
- 北白川宮能久親王 きたしらかわのみやよしひさしんのう
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000272707