レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/10/14
- 登録日時
- 2011/10/27 02:00
- 更新日時
- 2011/10/27 02:00
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-110061
- 質問
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解決
護良親王の石巻伝説(護良親王が幽閉されていた時に実は殺されておらず、亡くなるまで石巻にかくまわれていた。親王をまつり建てられたのが「一皇子神社」であるという伝説)に関する資料はありますか。
- 回答
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1 護良親王の石巻伝説について
以下の資料に記述がありました。ただし,文中の「淵辺」「渕辺」の表記については原文のままです。
資料1 石巻市史編さん委員会編. 『石巻の歴史 第1巻』石巻市史編さん委員会(石巻市, 1996年)
pp.511-513「多福院板碑と葛西氏」の項
「(前略)淵辺氏をめぐる伝承とは、この淵辺氏は牡鹿湊の領主で、「御所入」の付近にある「淵辺屋敷」という地が淵辺氏の居館であった。淵辺義博は、護良親王から子の弥四郎が命を助けられたこともあって、親王の恩義に深く感じていた。そこで実は、親王を殺さず、ひそかに鎌倉を逃れて牡鹿湊の地をお隠れの里とした。その地が「御所入」であった。(中略)しかし、親王は永い間土牢に閉じ込められていたため健康を害し、建武二年十一月に湊の地でなくなり、塚をつくって葬った。後年この小祠を建て親王をまつった。それが「一皇子神社」である。(後略)」
資料2 『石巻まるごと歴史探訪』石垣 宏[ほか](ヨークベニマル, 2000年)
pp.48-49「護良親王伝説と一皇子神社」の項
「(前略)石巻に残る護良親王伝説では、殺害を命じられた渕辺義博は、恐れ多いと考えて自分の領地(相模原市)に一時匿まい、部下として渕辺・日野・日下・平塚・福原・遠山・高橋ら七名と共に船で牡鹿湊につき、桜川の河口から上陸、南朝方の葛西氏に保護されたとみられます。再起を機したのですが、病を得て、正平元年(一三四六)に亡くなったのです。この護良親王を祀ったのが一皇子神社です。(後略)」
資料3 「奥羽観蹟聞老志」巻之九 牡鹿郡のうち「吉野先帝ノ御墓」の項
『仙台叢書 第15巻』(宝文堂出版販売, 1972年)pp.373-375 所収
資料4 「奥羽観蹟聞老志」補修篇巻之九 牡鹿郡のうち「御所ノ曲隈」の項
『仙台叢書 第16巻』(宝文堂出版販売, 1972年)pp.321-322所収
資料3・4は「奥羽観蹟聞老志」の翻刻(活字本)となっています。底本と解題は巻頭に収録されています。
※「奥羽観蹟聞老志」について
資料5 『日本歴史地名大系 4 宮城県の地名』(平凡社, 1987年)
p.721「奥羽観蹟聞老志」の項に以下の記述があります。
「奥羽観蹟聞老志 20巻20冊 佐久間洞巌著 成立享保4年 写本宮城県図書館ほか
解説 四代藩主綱村の命により作成された地誌。領内をくまなく踏査し、宝永四年その草稿を焼失するが、なお書継いだ。名蹟・故事・社寺などを和歌・物語・伝説などによって浮彫にし、単なる地誌的記述に終わらず、領内の歴史・伝承や文化的遺産を明らかにしようとしている。藩撰地誌の嚆矢。活字本 仙台叢書別巻三・四」
- 回答プロセス
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- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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- 石巻の歴史 第1巻. 石巻市史編さん委員会/編. 石巻市, 1996.3【K253.3/イ1-2/1】pp.511-512
- 石巻まるごと歴史探訪. 石垣 宏[ほか]/著. ヨークベニマル, 2000.7【K253.3/2000.7】pp.48-49
- 仙台叢書 第15巻. . 宝文堂出版販売, 1972.10【K081/セ1-2/イ15】pp.370-375
- 仙台叢書 第16巻. . 宝文堂出版販売, 1972.11【K081/セ1-2/イ16】pp.321-322
- 日本歴史地名大系 4. . 平凡社, 1987.7【291.03/ニ12/4R】
- キーワード
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- 護良親王(モリナガシンノウ)
- 奥羽観蹟聞老志
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000093690