レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/12/05
- 登録日時
- 2017/03/30 00:30
- 更新日時
- 2017/03/30 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-160121
- 質問
-
解決
『梁川町史 1』の「伊達父子の対立」の章段で,伊達輝宗が父・晴宗と争い,戦の様相を帯びたとあります。
元亀元年(1570年)より前のことのようですが,その時期のことが詳しく分かる資料はないでしょうか。
- 回答
-
下記の資料に記載がありました。※【 】内は当館請求記号
資料1 藤木久志, 伊藤喜良編『奥羽から中世をみる』吉川弘文館, 2009【K204/097】
「3 戦国の様相と伊達氏」の項
pp.178-197高橋明「永禄七,八年の長沼をめぐる抗争」
pp.190-191「おわりに」の項
「伊達氏,晴宗・輝宗父子の内訌は,輝宗が伊達庶流にして一家の班にある田手宗光をその拠城伊具郡角田城に攻めたことに始まる。(中略)二階堂盛義も書状を交わして父子間のとりなしを求める。」との記載があります。
上記資料の本文には56から65まで「註」がついており,pp.196-197に引用文献が掲載されています。
資料2 小林清治『戦国大名伊達氏の研究』高志書院, 2008【K204/089】
「1 南奥羽の中世と伊達氏 第2章 戦国大名伊達氏 晴宗隠居」の項
pp.108-110「その後まもなく父子の不和が生じた。伊具角田城主田手宗光が相馬に通じたのを輝宗が攻め,晴宗は輝宗・宗光間の抗争をとどめるべく米沢から伊達郡石母田に出張したところを輝宗に攻められることになった。」との記載があります。
「第4節 輝宗の治世 相続直後の活動」の項
p.110「この時点では,晴宗と輝宗の間がなお不和であったことがうかがわれる。」との記載があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 伊達, 輝宗(ダテ, テルムネ)
- 伊達, 晴宗(ダテ, ハルムネ)
- 日本--歴史--中世
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 社会人
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000213514