レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/03/05
- 登録日時
- 2014/12/22 00:30
- 更新日時
- 2014/12/24 09:56
- 管理番号
- 0000001067
- 質問
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解決
以下の街道の名称、程里を調べている。
寺井~末寺~秋常~高座~徳久~北市~倉重~三ツ屋~来丸~火釜~岩内~三ッ口~宮竹~燈台笹~岩本~鶴来
- 回答
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『石川県能美郡誌』p341によると、名称は「鶴来往来」、程里は「三里七町三間」です。
記述は次のとおり。「「鶴来往来 小松町より寺井野村字寺井までは国道線により、同所に於いて分岐し、久常村字末寺、秋常、高座、徳久、北市、山上村字倉重、三ツ屋、大金、岩内、三ツ口、宮竹、灯台笹を貫通し、天狗橋を渡り、石川郡鶴来町に達す。延長三里七町三間なり」
なお、『能美郡村々組分絵図』には寺井から岩本までの道が描かれていますが、岩本から鶴来への道は記されていません。
天狗橋については、『石川県能美郡誌』p1541に、「県道鶴来往来山上村より、石川郡鶴来町に通ずる橋梁にして、明治三十年頃より架橋の議起り、…同三十六年二月に至りて全部竣工し、同十二日渡橋式を挙行す…此の橋未だ架せざりし以前は、所々に渡舟ありしも、洪水の時には、下は湊の橋、上は広瀬の橋を迂回せざるを得ず、交通甚だ不便なりしが、…」とあり、明治36年に作られた橋であることがわかります。
- 回答プロセス
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『歴史の道調査報告書 第6集』の付図「歴史の道総括地図」を見ると、この道は水島・鶴来往来と近い。『歴史の道調査報告書 第3集』p78-80に水島・鶴来往来の記事がある。
「手取川の氾濫原上に集落・往来・耕地が立地しており、それらの移動や大規模な耕地整理/圃場整備の進んだ地域であり、すでに近世以前の往来の旧状はほとんど失われており、これを復原的に確定することはきわめて困難であるといわねばならない。」(p79)
『石川県道路地図 2版』47「能美」と48「鶴来」を見ると、質問にある地名は県道4号線(小松鶴来線)がほぼ結んでいる。
整備される以前、この道は何だったのかを調べるために『鶴来町史』を見たところ、『鶴来町史 歴史篇 近世・近代』p318-319掲載の鉄道概要路線図の「能美電気鉄道」の駅名が質問にある地名を複数含んでいた。この路線は昭和55年9月まで存続したので、同一ではないが関係がありそうだ。
『五万分一地形図「鶴来」(昭和28年応急修正版)』を見ると、「徳久」あたりから鶴来方面へ、道路と鉄道は山ろくを時に交差しつつのびている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 運輸.交通.観光事業 (68 9版)
- 参考資料
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- 1 石川県能美郡誌 石川県能美郡役所∥編 大和学芸図書 1981.4 K225/21 p341,1541
- 2 能美郡村々組分絵図 新湊市博物館 [200-] K290.3/1085
- キーワード
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- 街道
- 寺井
- 鶴来
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000165197