レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年04月19日
- 登録日時
- 2022/12/25 14:43
- 更新日時
- 2023/08/01 17:03
- 管理番号
- 新県図-01517
- 質問
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解決
1.宝光院の妙多羅天女像出開帳に関する江戸期の記録(古文書)
2.弥彦文書目録掲載史料の所蔵情報
3.弥彦文書以外の御開帳に関する史料
4.当館所蔵「越後一の宮御神楽詣」閲覧方法
5.弥彦村の地名が分かる資料
- 回答
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1.宝光院の妙多羅天女像出開帳に関する江戸期の記録(古文書)
当館所蔵資料を調査したところ、(1)~(3)に妙多羅天女像に関する記述が見つかりました。うち(1)に妙多羅天女像の出開帳に関する記述があります。
ただし、江戸期の一次史料(古文書)に関する記述は見つかりませんでした。
(1)『弥彦郷土誌弥彦神領史話』続(岡真須徳/著 弥彦村教育委員会 1990)
「第12章 宝光院阿弥陀堂内の仏像 一.神宮司関係仏像」内p282~283「2 妙多羅天女像」に、「…その当時神宮寺を預る社僧真言院は、弥彦神社より年間二十俵の扶持を得て生活していた。しかし一件の檀家もない同寺は、ややもすれば収入は途絶え勝ちであった。そこで社僧は妙多羅天の開帳によって収入を得ようと考え、時々開帳を催して人々を集め、仏事を行った。さらには神主の許しを得て弥彦周辺の村々へ「出開帳」を行って、妙多羅天の御利益を広めていった。この「出開帳」は次第に広範囲となり、蒲原・古志・魚沼方面へと延び、日数もかなり長期間にわたったことが、記録されている」と記述があります。
(2)『弥彦郷土誌弥彦神領史話 高橋文書の拾録から』(岡真須徳/著 弥彦村教育委員会 1985)
p114~129「第4章 神宮司の神仏分離」に、(1)に関連して、妙多羅天女像が神仏分離と神宮寺の廃止を受け、祠官五十嵐左京家に預けられた後、阿弥陀堂建立を機に宝光院へ寄託され、同寺の所有となった旨の記述があります。
(3)『弥彦村史事典』(弥彦村教育委員会/編 弥彦村 2009)
p133「妙多羅天女信仰」に、前掲(1)(2)に基づく妙多羅天女像の来歴情報のほか、出開帳後の像のモノクロ写真が掲載されています。
2.弥彦文書目録掲載史料の所蔵情報・閲覧方法
まず、お電話にてお伺いした内容から、ご依頼文の弥彦文書の目録は(4)と推測されます。この目録は昭和28年12月に宮栄二が弥彦神社旧舎人高橋家文書を整理・分類したものです。
調査を行ったところ、(5)の弥彦文書の史料解説に「弥彦神社寄託」と記載があります。ただし、掲載史料の閲覧方法に関する記述は見つかりませんでした。
また旧舎人高橋家の文書目録には、(4)の他に國學院大學日本文化研究所が整理・分類した(6)があります。確認したところ、妙多羅天女の開帖願2点の記載が見つかりました。ただし、(4)と(6)の掲載史料が同一の史料かは不明です。
(4)『越後文書宝翰集・弥彦文書』新潟県文化財調査報告書 第2巻(新潟県教育委員会/編・発行 1954)
p87「総説」に「弥彦神社宮司高橋章光氏の所蔵に係る同家伝世の文書」と記述があります。
p179「793 真言院妙多羅天開帳願 寛政4年4月」
p179「803 妙多羅天開帳願 嘉永5年4月」
(5)『史料一覧と解説』弥彦村史 資料編 近世・近代1(弥彦村教育委員会 [1992])
「二、所蔵者別史料目録解説」内p11「3 弥彦文書」に、「弥彦神社旧神官高橋士了氏蔵 弥彦神社寄託」と記載があります。
(6)『弥彦神社文書目録(旧舎人高橋家)』(国学院大学日本文化研究所/編・発行2004)
p79「7-2-3 真言宗妙多羅天開帳願」
p79「7-2-4 妙多羅天開帳願」
3.弥彦文書以外の御開帳に関する史料
弥彦神社関係文書には、弥彦文書(弥彦神社旧舎人高橋家文書)の他に、高橋文書(弥彦神社旧神主高橋家文書)があります。
國學院大學日本文化研究所が整理・分類した(7)高橋文書目録に妙多羅天女の開帖願4点の記載が見つかりました。
また前掲(5)に高橋文書の史料解説に「弥彦神社寄託」と記載があります。ただし、掲載史料の閲覧方法に関する記述は見つかりませんでした。
(7)『弥彦神社文書目録(旧神主高橋家)』(国学院大学日本文化研究所/編・発行 2003)
p95「7-2-2 妙多羅天女開帖願 天保6年7月成立」
p95「7-2-3 妙多羅天女開帖願 天保11年6月24日成立」
p95「7-2-4 妙多羅天女開帖願 天保9年閏4月成立」
p95「7-2-5 妙多羅天女開帖願 文久2年8月1日成立」
前掲(5)『史料一覧と解説』弥彦村史 資料編 近世・近代1(弥彦村教育委員会 [1992])
「二、所蔵者別史料目録解説」内p10「2 高橋文書」に、「弥彦神社旧神主家高橋一介氏蔵 弥彦神社寄託」と記載があります。
4.「越後一の宮御神楽詣」閲覧方法
当館所蔵「越後一の宮御神楽詣」は、当館の提供する「越後佐渡デジタルライブラリー」上でデジタル画像が公開されています。なお、資料保存のため、原資料の閲覧提供は行っておりません。
5.弥彦村の地名が分かる資料
代表的な新潟県の地名辞典に(8)~(10)があり、弥彦村の地名を調べることができます。また(11)に弥彦村の地名(大字・小字)に関する記述があります。
(8)『角川日本地名大辞典』15 新潟県(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1989)
(9)『新潟県の地名』(平凡社/編 平凡社 1986)
(10)『大日本地名辞書』第5巻 増補版(吉田東伍/著 冨山房 1971)
(11)『弥彦村誌』(弥彦村誌編纂委員会/編 弥彦村誌編纂委員会 1971)
「第1章 いやひこのあけぼの」内p19~32「第3節 集落発生の過程」に、弥彦村の各大字名の沿革や小字名の解読に関する記述があります。
その他、調査の過程で(12)(13)の関連記事が見つかりました。
(12)「弥彦妙多羅天像のこと」(藤田治雄/著 『弥彦郷土誌』11号 1996年3月 p37~51)
前掲(1)を引用し、弥三郎伝説が新潟県に広範囲に分布した原因を、妙多羅天女像の出開帳にあったものと推測しています。また同号の口絵に、弥彦妙多羅天像のモノクロ写真を掲載しています。
(13)「悲しみの天女・ヤサブロバサへの旅」(高橋郁子/著 『弥彦郷土誌』19号 2004年12月 p43~56)
p45に、「…出開帳についての記録は宝光院には残っていないことから、出開帳は宝光院主催のものではないように思われる。妙多羅天女のご開帳や、弥彦神社の祭礼などの時に、沿道で気軽に人々が拝んだものとも考えられる。…」と記述があります。また妙多羅天女像の出開帳の様子のモノクロ写真を掲載しています。
さらに同号の口絵に、弥彦妙多羅天像のモノクロ写真及び黒津家蔵妙多羅天の掛軸のモノクロ写真を掲載しています。
以下は主な調査済み資料です。参考までに申し添えます。
・『弥彦神社御遷座百年誌』(弥彦神社御遷座百年記念事業室/編 弥彦神社 2016)
「第1章 第1節 明治維新と国幣中社列格」内p17~19「3、神仏分離と神宮寺の廃止」
・『弥彦神社明治百年誌』前編(弥彦神社社務所/編・発行 1988)
・『弥彦神社叢書』(弥彦神社/編 名著出版 1977)
・『新潟県史』別編2 資料所在目録(新潟県/編 新潟県 1989)
p322~326「36 弥彦村」
・『史料一覧と解説』弥彦村史 古代・中世資料編(弥彦村教育委員会 [1992])
・『写真でみる弥彦の中世史料』(岡真須徳/編 弥彦村教育委員会 1994)
・「弥彦神社の神宮寺と神祇宗」(鈴木彦雄/著 『越佐研究』25号 1967年3月 p1~30)
・「妙多羅天女御開帳」(高橋郁子/著 『高志路』382号 2011年12月 p29~30)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 越後佐渡デジタルライブラリー検索画面(https://opac.pref-lib.niigata.niigata.jp/darc/opac/search-detail.do?lang=ja)
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査 所蔵調査 所蔵機関調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000326435