レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年09月13日
- 登録日時
- 2013/09/13 18:05
- 更新日時
- 2013/09/13 18:05
- 管理番号
- 20130913-10
- 質問
-
解決
秋瑾について知りたい。
- 回答
-
秋瑾 【しゅうきん】 コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A7%8B%E7%91%BE (2013/09/13確認)
世界大百科事典 第2版
しゅうきん【秋瑾 Qiū Jǐn】 1875‐1907
中国,近代,最初の女性革命家,婦人解放運動の先駆者。字は璿卿(せんけい),号は競雄。鑑湖女俠と自称した。厦門(アモイ)に生まれる。原籍は浙江省山陰県(現,紹興),魯迅と郷をともにする。生年については,1877,78,79年の諸説がある。祖父,父ともに地方官を歴任した読書人の家庭に育ち,父命に従って湖南省湘潭の富商の息子,王廷鈞に嫁し2子をもうけた。戸部主事の官を金で買った夫とともに北京に移り住んだが,そのときの北京は義和団の運動が敗北し,ヨーロッパ列強に対してなすすべを失い狼狽ただならぬ清朝政府の中央でしかなかった。・・・
デジタル版 日本人名大辞典+Plus
秋瑾 しゅうきん
1875-1907 清(しん)(中国)の革命家。
光緒元年10月18日生まれ。結婚後,日本に留学。下田歌子の実践女学校にまなび,秘密結社三合会にくわわる。1906年帰国。浙江省紹興で女子教育にたずさわり,光復会員として革命運動に従事。1907年徐錫麟(じょ-しゃくりん)とともに武装蜂起を計画。清朝官憲に察知され,光緒33年6月5日処刑された。33歳。武田泰淳「秋風秋雨人を愁殺す―秋瑾女士伝」で知られる。福建省出身。字(あざな)は卿。号は競雄,鑑湖女侠など。
デジタル大辞泉
しゅう‐きん 〔シウ‐〕 【秋瑾】
[1875~1907]中国、清末の女性革命家。浙江(せっこう)省紹興の人。日本留学中に中国革命同盟会に入り、帰国して革命運動に従事。浙江で武装蜂起を計画したが、発覚して処刑。チウ=チン。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中国 (222 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 政治史.事情 (312 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 秋瑾 しゅうきん
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000137122