レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年03月24日
- 登録日時
- 2022/03/24 09:03
- 更新日時
- 2022/04/26 14:47
- 管理番号
- 3562
- 質問
-
解決
「青の洞門」の「青」とはなにか
- 回答
-
「青の洞門」は江戸時代の僧禅海が岩山に掘ったトンネルで
およそ30年かけて整備したと言われています。
(時期については資料により相違があります)
大分県中津市本耶馬渓町曽木青というところにあり、
地名から「青の」と呼ばれているのだと思われます。
- 回答プロセス
-
1.資料検索:「青」「洞門」など
役立ちそうな資料はみつからず。
2.インターネットで「青の洞門」を検索
所在地「大分県中津市本耶馬渓町」がわかる。
3.大分県の地方史・地誌・民話などの資料を調査
・『大分県の歴史』(豊田 寛三ほか/著 山川出版社 2011年)219.5
p.285
大分県の陸上交通に関する解説のなかで「青の洞門」に言及している。
・『中津藩』(三谷 紘平/著 現代書館 2014年)219.5
p.157-
「青の洞門」に関する解説がある。
この洞門は「山陰の鏨道」と呼ばれたという記述がある。
・『新編物語藩史 第11巻』(瀬野 精一郎/[ほか著] 新人物往来社 1975年)書庫/210.5
p.85-p.86
「青の洞門」と禅海の略歴などやや詳しい解説がある。
・『大分県の歴史散歩』
(大分県高等学校教育研究会地理歴史科・公民科部会/編 山川出版社 2008年)291.9
p.162
「青の洞門」を史跡として紹介し解説している。
・『角川日本地名大辞典 44 大分県』
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980年)書庫/291.0
p.66-p.67「青の洞門」
江戸時代に禅海がおよそ30年かけて岩山を掘り抜いてつくった隧道であること
この洞門がつくられる前には岩壁に沿って「青のくさり戸」と呼ばれる吊り橋が
かけられていたことなどの解説がある。
・『大分県の民話』(日本児童文学者協会/編 偕成社 1983年)書庫/38
p.62-
樋田から青へ行く道として岩壁沿いにつくられていた「鎖渡し」の
かわりに安全な道を必要としてつくられたトンネルであると
物語の中で紹介されている。
p.224
「青の洞門」に関して短い解説があり、伝説として羅漢寺の『禅海略伝』や
樋田家所蔵『山陰鏨道碑銘並序』『禅海讃』などに残されている、とある。
「青の洞門」の「青」は地名(地域名)ではないかと思われるものの、これらの資料には
名前の由来を説明しているものはみつからなかった。
4.『大分県の民話』で紹介されていた『禅海略伝』『禅海讃』『山陰鏨道碑銘並序』
の所蔵を調査。国立国会図書館のWEBOPACやデジタルコレクションなどで検索。
内容を確認できる資料はみつからなかった。
5.「禅海」をキーワードに資料検索
・『暮らしをまもり工事を行ったお坊さんたち』(かこ さとし/作 瑞雲舎 2004年)510
p.26-p.27
青の洞門と禅海について紹介。
注に「「青」は小字の地名」とある。
参考文献を確認したかったが記載がない。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 九州地方 (219 10版)
- 日本 (291 10版)
- 建設工学.土木工学 (510 10版)
- 参考資料
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『角川日本地名大辞典 44 大分県』
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980年)291.0 -
『新編物語藩史 第11巻 九州地方の諸藩 1』
(瀬野 精一郎/[ほか著] 新人物往来社 1975年)210.5 -
『暮らしをまもり工事を行ったお坊さんたち』土木の歴史絵本1
(かこ さとし/作 瑞雲舎 2004年)510
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『角川日本地名大辞典 44 大分県』
- キーワード
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- 青の洞門
- 禅海
- 山陰鏨道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000313984