レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20170912
- 登録日時
- 2020/03/13 00:30
- 更新日時
- 2020/03/14 12:32
- 管理番号
- 0400001912
- 質問
-
解決
新潟市内に領地があった旗本小浜氏について,寛政年間以降についてわかる系図や先祖書が載った郷土資料がないか。当主だけでなく兄弟姉妹について書かれているものがよい。できるだけ江戸後期の,天保,弘化,慶応くらいまでほしい。
【既知事項】
寛政までの系図は不要。寛政譜や寛政以降の旗本人名事典等歴代当主しか載っていないものも不要。
- 回答
-
寛政年間以降で当主以外の人物の載っている系図,先祖書はみつけられず。
以下の資料の情報を参考までに提供。
①『新潟市史』通史編2 近世(下)(新潟市 1997)
p195-200 旗本小浜氏の郷村支配,p322-327 小浜領の騒動
②『新潟市史』資料編3 近世Ⅱ 東新潟編(新潟市 1992)
p129-194 沢海藩・幕府領・旗本小浜氏の支配(慶長3~慶応3年までの史料を収録)
③『横越町史』通史編(横越町 2003)
p259-309 近世中期の横越町と小浜領
初代景隆から十一代鎮隆までの系図と,十代健次郎(継隆)の子錦吾(きんご) - 四一(よいち) - 千代(ちよ)(資料提供者・萩原千代氏)までの系図あり。真珠院(今川家菩提寺・静岡県清水市)に鎮隆と妻の合奏墓,母親,娘,家来の墓があると記述あり。ほかに大栄寺(新潟市)に位牌,吉祥寺(東京都文京区)に墓があるとしている。二代光隆から十一代鎮隆までの就任役職の表もあり。
④『横越町史』資料編(横越町 2000)
p221-274 旗本小浜氏の支配
⑤『沢海城物語』(角田夏夫 沢海書林 1976)
p135-147 旗本,小浜七代
行隆を初代として七代の記述があるが,三代,四代にあたる到隆,壽隆が同一人物になっている。また,七代目を盛之助克隆とし,それが先代鎮隆の弟豊吉なのか先々代継隆の子錦吾なのか不明,と『横越町史』にも記述があった。さらに行隆から四代前の忠隆の次男・七之助についての記述もあり。
⑥『市史にいがた』17号(新潟市 1995)
p32-46 旗本小浜氏の知行所支配と農民運動
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
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- 寛政譜以降旗本家百科事典 第1巻 , ISBN 4-88721-303-4
- 江戸幕府旗本人名事典 第1巻 , ISBN 4-562-02038-5
- キーワード
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- 小浜氏
- 旗本
- 系図
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000275832