レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年07月26日
- 登録日時
- 2020/09/25 18:36
- 更新日時
- 2021/08/18 19:56
- 管理番号
- 南浦和-1-00065
- 質問
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解決
さいたま市浦和区にある第六天神社について知りたい。境内の掲示に、慶安二年文書に詳細が書かれているとあった。
- 回答
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『埼玉の神社-北足立 児玉 南埼玉-』 埼玉県神社庁神社調査団/編 埼玉県神社庁 1998
『調神社』 青木義脩/著 さきたま出版会 1995
『浦和市史 第3巻 近世史料編Ⅰ』 浦和市総務部市史編纂室/編 浦和市 1981
- 回答プロセス
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境内看板の内容を下記ホームページで確認。
https://tesshow/saitama/saitama/shrine_urawa_dai.html(2020.9.25最終確認)
調町内鎮座岸町第六天神社縁起
(中略)
その歴史的伝統由緒等は、慶安二年の記録をはじめ、断片的ながらも事実がとどめられ、その由緒の正しさを今日に伝えております。
(後略)
市の文化財保護課で設置した掲示ではないため、地元の自治会などが設置したものと推察される。また、このホームページの記事によると、第六天神社は「調神社の鬼門除けの社として祀られたのではないか」とある。
市内所蔵資料を確認。
『浦和市史 第3巻4』 浦和市総務部市史編纂室/編 浦和市 1985
P.215 慶安二年八月の徳川家光朱印状あり。ただしこれは第六天神社や調神社の別当寺であった月山寺あての社寺寄進状。
『埼玉の神社-北足立 児玉 南埼玉-』 埼玉県神社庁神社調査団/編 埼玉県神社庁 1998
P.130~P.131 第六天神社の歴史や信仰について記載あり。
『角川日本地名大辞典11 埼玉県』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980
P.306 岸村の記載あり。調神社が慶安二年から朱印地七石を拝領とあり。
『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』 平凡社 1993
P.129 調神社の記載あり。慶安二年に徳川家光が岸村の内で七石の社領を寄進している旨の記載あり。
『浦和市史 通史編2』 浦和市総務部市史編纂室/編 浦和市 1988
P.107 慶安二年、徳川家光の時に発せられた朱印状の記載あり。
『調神社』 青木義脩/著 さきたま出版会 1995
P.14~P.15 調神社が拝領した社領七石について「この七石の範囲は、岸村のうち、第六天畑、行之下嶋畑、宮ノ前、岸ノ下田、天神免畑などである(『短才見聞録』)」とある。この「第六天畑」が、第六天神社付近と推察される。
『浦和市史 第3巻 近世史料編Ⅰ』 浦和市総務部市史編纂室/編 浦和市 1981
P.86に、上記の『短才見聞録』あり。第六天がどのあたりを指すか、図示されている。
埼玉県立文書館収蔵資料検索システムで検索するも、検索対象の文書が明治元年以降のもののため、江戸時代の文書は検索できず。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 10版)
- 地理.地誌.紀行 (290 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- さいたま市浦和区
- 調神社
- 第六天神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000287476