レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年07月12日
- 登録日時
- 2022/07/17 14:50
- 更新日時
- 2022/11/10 12:02
- 管理番号
- 名古屋市村-2022-001
- 質問
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解決
名古屋市中村区にある「本陣」は参勤交代で使われた場所か。
- 回答
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参勤交代で使われた場所であると明記された資料は見つかりませんでした。
「本陣」の名前の由来は、豊臣秀吉が小田原征伐の帰路に立ち寄り本陣を構えて望郷の念願を果たしたといわれたことから呼ぶようになったそうです。また、織田信長が萱津合戦をした時の本陣、「本地」から「本陣」になった説があります。
参勤交代に使われたと思われるのは烏森や岩塚を通る「佐屋街道」で、本陣は通りません。
- 回答プロセス
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『中村区誌』p.347に、「本陣」の名前の由来について「豊臣秀吉が小田原征伐の帰路、とくに中村の地に立ち寄り、当地に本陣を構えて望郷の念願を果たしたといわれ、以来この辺りを「本陣」と呼ぶようになった」と記載があります。
また『中村区の歴史』p.76には、「帰りに本陣をはるものかどうか疑問が残る。むしろ織田信長が萱津合戦をした時の本陣とみるのがふさわしい。(中略)かなり以前に人が住んだ所を「本地」とよび、岩塚村にも「本地」という字名があり、そのように考えられていることから、「本地」から「本陣」となったと推考している」と書かれています。
佐屋街道については『はっけんたんけん佐屋街道』に「多くの大名が参勤交代に利用」とあり、『中村区まち物語』p.48にも次のように書かれています。「佐屋街道は東海道宮(熱田)宿と東海道桑名宿(三重県桑名市)を結ぶ街道で、佐屋路ともよばれた。東海道は、二つの宿の間を通称七里の渡しの海路で結んでいた」「爆風時や逆に無風あるいは逆風時は船が出ない日もあった。また江戸時代の人々は、現代人よりはるかに船酔いしやすかったと思われ、船を嫌う人も多かった。その場合、陸路と川船の渡しを中心とした佐屋街道が利用されたのである」
また「佐屋街道の四つの宿場のうち、中村区内には岩塚宿がある」こと、岩塚宿は本陣より南であるため、参勤交代の通り道ではないと思われます。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 参考資料
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中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編集 , 名古屋市. 中村区誌 : 区制50周年記念. 中村区制施行50周年記念事業実行委員会, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I071648498-00 -
横地清 著 , 横地, 清, 1935-. 中村区の歴史. 愛知県郷土資料刊行会, 1983. (名古屋区史シリーズ ; 5)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001691785-00 , ISBN 4871610160 -
はっけんたんけん佐屋街道 : はっけんたんけん中川区. はっけん・たんけん・中川区まちの魅力発信隊, 2010-10.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I110666630-00 -
柴垣勇夫 編著 , 柴垣, 勇夫. 中村区まち物語. 風媒社, 2019. (爽BOOKS. 名古屋の歴史と文化を楽しむ ; 1)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I029931665-00 , ISBN 9784833101868
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中村区制施行50周年記念事業実行委員会記念誌編集委員会 編集 , 名古屋市. 中村区誌 : 区制50周年記念. 中村区制施行50周年記念事業実行委員会, 1987.
- キーワード
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- 本陣
- 中村区本陣通
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000318918