レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/12/18
- 登録日時
- 2021/01/14 00:30
- 更新日時
- 2021/01/14 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-200092
- 質問
-
解決
金華山灯台について調べている。灯台が造られた背景(江戸時代の航海の難所など),イギリス人技師や灯台守について記述のある資料はあるか。
- 回答
-
下記の資料に金華山灯台に関する記述がありました。
※【 】内は当館請求記号です。
資料1 「聖母よ永遠なれ:金華山灯台の幾歳月」『カルチャー7』37号(91秋季号),七十七銀行, 1991【PK050/カ】
p.10「人知れず輝いて」の項
「(前略)当番制で炊事をしながらの三人の灯台勤務が始まろうとしている。『炊事も仕事の一部ですよ』と事もなげに微笑む佐藤さん。『慣れると,あの人のあの料理が食べたいといわれるようになってネ・・・』と堀野さん。一番若い亀井さんは『私はまだまだ試行錯誤の状態』とはにかむ。(後略)」
pp.10-11「国威を賭けて」の項
「(前略)幕末の黒船以来,繁く来航していた諸外国船から航路標識の不備を指摘された明治政府が国威を賭けて灯台建設に取組んだのである。(後略)」
資料2 牡鹿町誌編纂委員会編『牡鹿町誌 上巻』牡鹿町, 1988【K253.2/オ1/1】
p.149「明治九年(一八七六)五月二十七日,同七年二月より着工していた金華山灯台が完成し,同十一月一日から点灯を開始した。イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計施行によるもので,(中略)当時太平洋岸では,千葉県の犬吠崎灯台以北では金華山,尻屋岬,函館,納沙布崎の四ヶ所にあるだけで,もちろん宮城県内では最初の灯台であった。」
資料3 牡鹿町誌編さん委員会編『牡鹿町誌 下巻』牡鹿町, 2002【K253.2/オ1/3】
pp.332-333「(前略)ブラントンは,明治初年にお雇い外国人灯台技師として来日し,金華山をはじめ,日本各地に三十基ほどの灯台を築造した人である。工期が二年二ヶ月もあったのであるから,鮎川から船で通って指導したのではないかと思われるが,鮎川には,ブラントンについての言い伝えはなく,寄留生活の痕跡すら残されていない。(後略)」
資料4 『海上保安新聞』海上保安協会,【P557/カ】
(1)2015年11月26日号1面「不死身139歳・金華山灯台/大震災で内壁にひびも・・・1ヵ月後灯火復旧」
「(前略)この灯台は,明治30年の仙台地震(M7.8)で初代レンズが破損し使用不要となり,昭和20年には米艦載機の空襲を受け施設が大破,職員1人が殉死している。さらに昭和53年にも宮城県沖地震でレンズが大破した(後略)」
(2)2016年11月17日号1面「『金華山』で見学会/“灯台女子”がメッセージ」
(3)2016年11月17日号1面「海流」
資料5 『河北新報』(マイクロフィルム)河北新報社【PN071.2/カ】
(1)1992年12月28日付夕刊12面「明治の灯台残そう/海上保安庁/金華山など改修保存へ」
(2)1995年7月3日付朝刊8面「とうほく海岸線紀行/道しるべ(宮城・金華山)/瞬時も休まず120年/海の男たちの安全守る」
(3)1998年12月2日付朝刊25面「東北 灯台物語(4)/金華山(宮城・牡鹿)/5種類もの情報発信」
(4)2004年7月17日付朝刊29面「灯台の古文書発見/金華山で記録気象や近代史裏付け/塩釜海保」
(5)2005年2月26日付朝刊30面「尻屋埼・金華山の2灯台/4月から無人化/二管本部竜飛埼(青森県三厩村)は来年にも」
(6)2015年10月28日付朝刊27面「喜びも悲しみも139年/宮城県内最古金華山洋式灯台/震災後初の公開/建築時の姿残し今も現役」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 航海.航海学 (557 9版)
- 参考資料
-
- . カルチャー7. 七十七銀行, 1991【PK050/カ】:
- 牡鹿町誌編纂委員会編. 牡鹿町誌 上巻. 牡鹿町, 1988【K253.2/オ1/1】:
- 牡鹿町誌編さん委員会編. 牡鹿町誌 下巻. 牡鹿町, 2002【K253.2/オ1/3】:
- . 海上保安新聞. 海上保安協会, 【P557/カ】:
- . 河北新報 [マイクロフィルム] . 河北新報社, 【PN071.2/カ】:
- キーワード
-
- 灯台
- 金華山
- 宮城県石巻市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000292323