レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年10月27日
- 登録日時
- 2019/12/24 18:07
- 更新日時
- 2020/01/04 11:58
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2535
- 質問
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江戸時代の長良川とその支流が何と呼ばれていたか。
- 回答
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明治10年刊行の『岐阜県地誌』より回答。
「長良川」のほか、上流を「郡上川」「上之保川」、下流を「河渡川」「墨股(俣)川」と呼んだ。
支流には武儀川、津保川、糸貫川、境川、中村川、大榑川が挙げられている。
- 回答プロセス
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明治初期の名称は江戸時代と大きく変わらないと考え、明治10年刊行の『岐阜県地誌』を参照。長良川について以下のように記載している。
-----(以下引用 なお旧漢字は新字体に置き換え)-----
長良川ハ、即チ古ノ藍見川ニシテ、上流ヲ郡上川ト云ヒ、下流ヲ河渡川或ハ墨股川ト云フ、源ヲ大日ヶ嶽ヨリ発シ、武儀郡ニ至リテ、武儀、津保等ノ諸水ヲ集メ、山県、方県、厚見ノ三郡ヲ経、本巣郡ニ至リテ、糸貫川ト会シ、安八郡ニ至リテ、境川ヲ合セ、己ニシテ又中村、大榑ノ二川ヲ分チ、海西、中島、両郡ノ間ヲ過ギテ木曽川ニ入ル、
------(引用ここまで)-----
※「藍見川」は古事記・日本書紀にある河川名。
明治30年刊行の『岐阜県地誌』では、ほぼ同様の記述で、上流を「上之保川」ということなどが加わっている。
また、江戸時代の美濃国の地誌『美濃明細記』『美濃雑事記』には河川に関する項目があり、当時の名称などが分かる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000271323