漢字辞典、くずし字字典等から該当の文字を確認することができませんでしたが、当時の下野新聞の政談演説会の記事に、「壽座」、「都座(みやこざ)」の記載を確認しましたので、ご参考までにご紹介します。
・下野新聞 明治22年12月3日(4面)
「廣告 政談演説会 本月八日午前十時ヨリ宇都宮馬場町壽座に開ク」とあり、出席弁士の欄に、岩崎萬次郎を含む20名が記載されています。「壽座」にルビは振られていませんでした。
・下野新聞 明治22年12月7日(4面)
3日の記事と同じく、「廣告 政談演説会 本月八日午前十時ヨリ宇都宮馬場町壽座に開ク」とあり、出席弁士の欄に、岩崎萬次郎を含む22名が記載されています。「壽座」にルビは振られていませんでした。
※下野新聞 明治22年12月8日・9日分は欠号。
・下野新聞 明治22年12月10日(2面)
「●大同派政談大演説会」の本文中に、「(略)一昨八日を以て當地(どうち)都座(みやこざ)に開かれたりしが、同日曇天にて寒気も酷しきに拘はらず定刻なる午前十時頃より聴衆続々参集し十一時には早や千数百名に達し殆ど立錐の地なき迄に充満せし(後略)」とあり、岩崎萬次郎を含む12名の参加弁士の氏名が記載されています(記事中の漢字にはルビが振られています)。『野木町史 歴史編』の p.689-690の記述は当記事からの引用と推測されます。
なお、「壽座」の読みは、以下の資料から「ことぶきざ」であると確認できました。
・『広馬場(ばんば)は宮の夢舞台 明治時代の魅惑宇都宮盛り場物語,のぞきからくり』(藤田好三/著 しもつけの心出版 2012)
p.56‐57「寿座」の項があり、「座名 寿(ことぶき)座。後の花屋敷」とルビが振られています。
「明治11年に出版された『宇都宮解』に寿座をして“宇都宮市中第一の演劇場と爲す”とある。」「新聞で寿座の興行記事が確認できるのは同15年あたりからで当初期の興行で目立つのは各種演説会である。政談、学術、衛生、宗教など多様な演説会が寿座で行われている。」とあります。
この資料には、当時の建物写真も掲載されており、看板は「壽座」の表記を採用しています。
・『宇都宮解』(高田千代三/著 田野辺忠平 1878)
前出資料の出典です。9丁目(和綴本の9枚目の折丁)に「寿座(壽座)」が掲載されており、「ことぶきざ」とルビが振られていました。「寿(壽)」は草書体であるため活字の表記は確認できませんでしたが、読みについては、明治11年当時から「ことぶきざ」であったことが確認できました。
・『宇都宮商工会議所百年史』(宇都宮商工会議所創立百周年記念誌編纂部会 宇都宮商工会議所 1994)
p.14「脱”宿場”近代的都市への衣替え」に、明治24年4月から5月にかけて下野新聞に連載された「宇都宮繁盛記」を出典元とした情報を掲載しています。この情報に「劇場は寿座(ことぶきざ)、都座(みやこざ)」とあります。(ルビが振られています。)
・『宇都宮繁昌記』(春圃居士/著 山内港三郎 1898)
明治31年刊行の資料です。
p.14-15「(九)演劇」の項に「●壽座 明神廣馬場鏡ヶ池の畔にあり。」、「顧れば十年前、劇場は壽座都座ありしのみ、(略)」とあります。「壽座」「都座」にルビは振られていませんでした。