レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/04/04
- 登録日時
- 2022/05/02 00:30
- 更新日時
- 2022/05/12 16:48
- 管理番号
- 秋田-2748
- 質問
-
解決
龍角散の創始者は「藤井玄淵」だが、「玄淵」が襲名する名前だと聞いた。代々の「玄淵」は何人くらいいたのか。
- 回答
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以下の資料およびホームページを案内。
①『日本の伝承薬 江戸売薬から家庭薬まで』(鈴木 昶/著、薬事日報社、2005、499.7/スニ)資料番号:122340367
②「龍角散」HP https://www.ryukakusan.co.jp/history/(確認日付:2022.4.17)
トップページ>企業情報>龍角散の歴史
- 回答プロセス
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1.事前調査済みの資料を再度確認
『秋田人名大事典』(秋田魁新報社/編集、秋田魁新報社、2000)
⇒p486「藤井玄淵」の項に「子の玄信」「玄信の子は名医と言われた正亭治そして得三郎と続く」
『六郷町史 下巻 文化編』(六郷町史編纂委員会/編、六郷町、1991)
⇒p353 「藤井玄淵は代々医を業とした家で生まれ(中略)、子の玄信が蘭学を学んだ知識を漢方薬にとりいれて、龍角散を発明した。」「玄信の子に名医といわれた正亭治がおり、そして得三郎と続いている。」
2.所蔵資料検索(キーワード:龍角散)
①『日本の伝承薬 江戸売薬から家庭薬まで』(鈴木 昶/著、薬事日報社、2005)
⇒P367-368 「龍角散の発祥については、定かな記録がない。藤井家に伝えられるところによると、秋田藩主・佐竹義尭の典医であった正亭治が、藩主の持病である喘息を治すため長崎で蘭学を修め、帰藩してから藩にに伝わる咳止め薬の処方を改良したもの、とされている。(中略)家業を三男が継ぐことになり、これが初代の藤井得三郎というわけだ。初代の得三郎は(以下略)」
×『江戸あきんどの知恵袋 老舗の商法』(藤井 康男/著、大和出版、1993)
3.株式会社龍角散のホームページを確認。
②「龍角散」HP https://www.ryukakusan.co.jp/history/(確認日付:2022.4.17)
トップページ>企業情報>龍角散の歴史
一代目 藤井玄淵 ふじいげんえん
二代目 藤井玄信 ふじいげんしん
三代目 藤井正亭治 ふじいしょうていじ
四代目 初代 藤井得三郎 ふじいとくさぶろう
五代目 二代 藤井得三郎
六代目 三代 藤井得三郎
七代目 藤井康夫 ふじいやすお
八代目 藤井隆太 ふじいりゅうた
記載のなかった資料は以下の通り。
×『秋田県立博物館研究報告 40号』(秋田県立博物館/編、秋田県立博物館、2015)
→企画展「秋田のくすり今昔物語」展示報告
- 事前調査事項
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『六郷町史』
『秋田人名大事典』
- NDC
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- 自然科学 (4)
- 歴史 (2)
- 参考資料
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- 日本の伝承薬鈴木 昶/著薬事日報社
- キーワード
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- 龍角散(リュウカクサン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000315682