レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年06月09日
- 登録日時
- 2017/06/17 15:16
- 更新日時
- 2019/06/12 10:33
- 管理番号
- 島根郷2017-06-001
- 質問
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解決
島根県出身で、戦後に軍人の家族の救援活動をしたと言われている海軍中将の原忠一についてわかる資料はありませんか。また、葬られている墓地の場所も知りたいです。
- 回答
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当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。
資料1:p149-150「原忠一」の項目あり。
1889-1964。島根県出身。「珊瑚海海戦の航空戦を指揮」とあり、真珠湾攻撃に参加、のちに世界初の空母対空母の航空戦を指揮した、とある。救援活動・墓地についての記述はなし。
資料2:p74-77「朝酌の生んだ原忠一海軍中将」。
原忠一は朝酌(あさくみ)村西尾(現在の松江市西尾町)の生まれで、朝酌小学校から松江中学、海軍兵学校、海軍大学校にすすんだ。真珠湾攻撃、珊瑚海海戦では空母「瑞鶴」「翔鶴」の第五航空戦隊司令官で参加、第四艦隊司令長官としてトラック島で終戦を迎える。戦後はグアム島の米軍軍事裁判で禁固6年(BC級戦犯)を宣告され、巣鴨刑務所に服役。出所後は、戦争犯罪人とされた留守家族や刑死者・獄死者の家族を救援する活動を開始し、正力松太郎、藤原銀次郎等多くの賛同を得て、昭和27年に戦争受刑者世話会を設立し、原は常務理事に就任した。世話会には2180万円の浄財が寄付され、救援活動に使われた。昭和29年には恩給法が改正され、恩給が停止されていた戦犯刑死者・獄死者の遺族に対し、昭和28年にさかのぼって公務恩給扶助料相当額が支給された。昭和39年死去。横浜市営久保山墓地に埋葬された。
資料3:p818-820、「郷土の人」に「原忠一」の項目あり。内容は資料2とほぼ同じ。
資料4:昭和2年8月に島根県美保関沖でおこった海軍演習中の衝突事故「美保関事件」を主題とした小説。
主人公の父で、事件により沈没した駆逐艦「蕨」艦長・五十嵐恵少佐(殉職・のち中佐)の海軍兵学校の同期として原忠一が登場する。
作品の最後に「人々」として五十嵐艦長に関係した人物のなかに、原忠一が取り上げてある(p255-262)。原は事件後、最も五十嵐家を訪問した人物として、五十嵐家とのエピソードを紹介。また戦後の援助活動では、日本人戦犯のみならず、台湾・朝鮮人戦犯の家族にも救援を行うべきと主張して、それを実現している、とされる。また、昭和45年10月号の米軍海軍協会誌に「忘れ得ぬ敵・原忠一海軍中将」というドナルド・バートレット米海軍中佐の寄稿記事の存在も紹介する。墓地については記述なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 海軍 (397 8版)
- 参考資料
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【資料1】新人物往来社戦史室 編 , 新人物往来社. 日本海軍指揮官総覧. 新人物往来社, 1995.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002445495-00 , ISBN 4404022468 (当館請求記号 397.2/ニ95) -
【資料2】あなたの心に残る20世紀松江の物語作品集. 松江女性協会, 2002.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069356386-00 (当館請求記号 郷貸出217.32/マ02) -
【資料3】朝酌郷土誌編集委員会 編 , 朝酌公民館. 朝酌郷土誌. 朝酌公民館, 2001.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003048669-00 (当館請求記号 郷貸出217.32/ア01) -
【資料4】五十嵐邁 [著] , 五十嵐, 邁, 1924-2008. 美保関のかなたへ : 日本海軍特秘遭難事件. 角川学芸出版, 2005. (角川文庫. 角川ソフィア文庫)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008051925-00 , ISBN 4044058016 (当館請求記号 郷貸出F/イ05)
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【資料1】新人物往来社戦史室 編 , 新人物往来社. 日本海軍指揮官総覧. 新人物往来社, 1995.
- キーワード
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- 島根県
- 日本海軍
- 原忠一
- 美保関事件
- 戦争受刑者世話会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 資料4は『黒き日本海に消ゆ-海軍・美保関遭難事件』(講談社、1978年)の改題・文庫化資料。
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000217458