レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/6/6
- 登録日時
- 2019/11/07 00:30
- 更新日時
- 2019/11/08 10:18
- 管理番号
- 1460
- 質問
-
解決
鈴木大拙が四高の授業料10銭が支払えず中退したとあった。明治21年ごろの10銭は現在ではいくら程度なのか。
6つ上の兄が珠洲の尋常小学校(蛸島小学校)の校長をしていたが、月給はいくらであったのか。
- 回答
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『大拙と幾多郎』p27
「第四高等中学校を中途退学していた。家計が苦しくて授業料十銭を滞納し、その上に落第しての退学だとも伝えられる。」とありました。
明治21年ごろの10銭は現在でどの程度の価値であるのか明確な数値はわかりませんでした。
参考として、当館所蔵『値段史年表』に以下の記述がありました。
p92 【小学校教員の初任給】 明治19年:5円
p173 【日雇い労働者の賃金】 明治18年:16銭
p161 【白米(10kg)】 明治25年:67銭
兄の月給について
『大拙と幾多郎』によると、長兄が師範学校へ行き、20歳のとき小学校の教師になったとありました。名前は鈴木元太郎。
月給について記載された資料は見当たりませんでした。
以下に石川県における当時の小学校教員の月俸について記します。
『稿本金沢市史 学事編第3』p892
【職員の俸給】是年(明治18年)二月、縣は小学校教員俸給規則を定め、校長・訓導の俸給を十等に分ち、校長は一等三十円・二等二十五円・三等二十円・四等十七円・五等十五円・六等十四円・七等十三円・八等十二円・九等十一円・十等十円、訓導は一等三十円・二等二十五円・三等二十円・四等十七円・五等十四円・六等十二円・七等十円・八等八円・九等七円・十等上六円下五円とし、労績抜群の者は漸次五十円まで増俸、~略。
とありました。
『珠洲市史 第5巻』p790
明治35年においてですが、「尋常小学校:本科正教員の平均月俸は十三円七六銭、女子一〇円七五銭(県)」とありました。
また、鈴木家(大拙・母)、兄の家の家計とどこまで関係があるかわかりませんが次の記述がありました。
『大拙と幾多郎』p39-40
明治23年には、日本全体が恐慌に見舞われ、大銀行が次々と危機におちいり、市井人の中にも破産するものが続出する始末であった。貞太郎(大拙)の周辺にもその影響が及び、暮らしはいよいよ詰まってきた。そこで、家を三百円で売り払い、借金を返して本当の裸一貫となった貞太郎は、小学校教師をしていて溜めたわずかなお金をふところにして、金沢の町を去ることにした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 貨幣.通貨 (337 9版)
- 各宗 (188)
- 参考資料
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- 1 値段史年表 週刊朝日?編 朝日新聞社 1988.6 337.8/69
- 2 稿本金沢市史 学事編第3 金沢市∥編 名著出版 1973 K222/37/10
- 3 新・値段の明治大正昭和風俗史 週刊朝日?編 朝日新聞社 1990.1 337.8/76
- 4 物価の文化史事典 森永/卓郎?監修 甲賀忠一+制作部委員会?編 展望社 2008.7 R337.8/10022
- 5 大拙と幾多郎 森 清∥著 朝日出版社 1991.1 K188/64 p27-28、p39-40
- 6 珠洲市史 第5巻 珠洲市史編さん専門委員会∥編 珠洲市 1979 K212/5/5 p790
- 7 石川県史 第4編 石川県∥編 石川県図書館協会 1974 K209/24/4
- 8 稿本金沢市史 学事編第3 金沢市∥編 名著出版 1973 K222/37/10
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000264797