レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年06月16日
- 登録日時
- 2023/01/22 10:03
- 更新日時
- 2023/04/07 16:19
- 管理番号
- 北広島町2017-11
- 質問
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解決
吉川元経の庶子 大朝家経(吉川家経?)について存在が確認できる資料はあるか?
吉川興経の兄にあたるらしい。
- 回答
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資料1『大朝町史 上巻』大朝町史編纂委員編,大朝町,1978.
p.358 駿河丸城跡
「文政四年の「大朝記」には、「興経(十代)の兄君家経は古城平家丸に五百貫添えて別家せられしより、大朝播磨家経とあたらむ、平家丸末世の城主是なり」と里伝を伝えたものもある。」
p.427 4、馬場大明神社(馬場神社)(大朝小山)
祭神として、吉川経憲、朝枝因幡守とともに吉川家経も祀られていると説明されている。
p.428 吉川家経公
「家経公は九代元経長男(興経兄)といわれ、分家して大朝平家丸に居し大朝播磨家経と称したという。」
また『山県郡巡り道中記』や「大朝記」の記述として、家を継げなかったことに不満を持ち吉川氏宗家の居城 小倉山城を攻めるが、敗北したという言い伝えを紹介している。この合戦に由来する野伏原という地名や戦死者の首塚の言い伝えにも触れている。
資料2『山県郡巡り道中記』名田富太郎著 , 名田朔郎, 1974.
p.191に資料2で引用されている言い伝えが掲載されている。
資料3『日本歴史地名大系 第35巻 広島県の地名』平凡社, 1982.
p.736 駿河丸城跡
資料1と同じく「大朝記」(枝ノ宮八幡神社蔵)の記述に基づいて「一〇代興経の代にその兄家経が居城していた」と記載されている。
資料4『吉川氏城館跡』小都隆著 , 同成社, 2008.
p.23 城跡からみた大朝本荘
家経ほか具体的な人名は登場しないが大朝本荘の中心集落である間所にある城を「吉川氏庶家の城と考えられる」と記述している。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 10版)
- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
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資料1 大朝町史編纂委員 編 , 大朝町 (広島県). 大朝町史 上巻. 大朝町, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001477004-00 -
資料2 名田富太郎著 , 名田, 富太郎. 山県郡巡り道中記 再版. 名田朔郎, 1974.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I007721135-00 -
資料3 日本歴史地名大系 第35巻 (広島県の地名). 平凡社, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001557172-00 -
資料4 小都隆著 , 小都, 隆. 吉川氏城館跡. 同成社, 2008. (日本の遺跡 / 菊池徹夫, 坂井秀弥企画・監修, 33)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I004198498-00 , ISBN 9784886214645
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資料1 大朝町史編纂委員 編 , 大朝町 (広島県). 大朝町史 上巻. 大朝町, 1978.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000327735