レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/08/13
- 登録日時
- 2013/09/07 00:30
- 更新日時
- 2013/11/02 17:58
- 管理番号
- 6000012541
- 質問
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解決
豊中市を流れる兎川について書かれた資料はないか。
- 回答
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下記の資料をご覧いただいた。
- 回答プロセス
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八坂神社御創建千年記念誌『こころのふるさと豊中八坂神社』(八坂神社千年祭実行委員会)
第2部「八坂神社と熊野田」で「兎川」の項目があり、名称の由来等について解説。「河川名称の由来は待兼山~島熊山にかけて野ウサギが生息していたので、水飲み場所から兎川と名付けられたと云う。」「昭和11年、豊中市との合併を記念して、上野東側の堤防沿いに桜並木が植樹された。」
『新修豊中市史』第3巻自然(豊中市)p28
「豊中市の河川には、神崎川、猪名川、千里川、天竺川、高川、兎川がある」とあり、天竺川の支流として紹介されている。
『新修豊中市史』第8巻社会経済(豊中市)p101-117
兎川沿いの新田開発にともなって生じた村々の境界線争いとその裁定について「桜井谷六ヶ村熊野田村山論裁許絵図」との関連で記述してある。
『豊中市洪水避難ガイド』(豊中市危機管理室)には天竺川と兎川周辺の避難区域と避難場所が掲載されている。
『聞き書き水とくらし』第二集(豊中市立教育研究所)
個人の証言だが、天竺川から引き込まれた水が熊野町周辺の田を潤して兎川に流れこむ様子が語られている。
「グラフとよなか」NO.16 豊中市の川と池(豊中市役所市長公室自治振興課)1980 p10-13
「幾つかの村々を抜けて」という題で天竺川とセットで章立て。合流点の写真(モノクロ)ほか多数掲載。「深谷池、三ツ池などから出る水路が兎川になるのは、東豊中の住宅街。ここから合流点までは二キロ足らずの道程です。/途中の堤防ではかつて、桜の並木が周囲の田園に、美しい花影を落としていましたが、今は住宅街に生まれ変わり、名残りの桜が数本残っているにすぎません。/合流点の手前、大きなクスの木に(ママ)下の胸像は、哲学者・石丸悟平さんのもの。明治十九年、熊野田村に生まれ、『人間親鸞』などの創作を残しました。」
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 河海工学.河川工学 (517 9版)
- 参考資料
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- 『新修豊中市史 第3巻』 豊中市史編さん委員会/編集 豊中市 (p28)
- 『新修豊中市史 第8巻』 豊中市史編さん委員会/編集 豊中市
- 『聞き書き 水とくらし 第2集』 豊中市立教育研究所 (p93-96)
- 『こころのふるさと 豊中八坂神社』 [豊中八坂神社]千年祭実行委員会広報委員/編集 (p64)
- キーワード
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- 兎川(ウサギガワ)
- 河川(カセン)
- 豊中(トヨナカ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 小学生
- 登録番号
- 1000136797