レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 島根県立図書館 (2110035) | 管理番号 (Control number) | 島根郷2019-07-001 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
事例作成日 (Creation date) | 2019年7月31日 | 登録日時 (Registration date) | 2019年07月31日 11時49分 | 更新日時 (Last update) | 2019年09月12日 18時14分 | |||||
質問 (Question) | 島根県庁前にある岸清一の銅像の大きさが知りたい。 | |||||||||
回答 (Answer) | 当館所蔵資料より、下記の資料を紹介し回答。 資料1:「島根新聞」昭和39年10月1日1面「秋空に英姿再び 岸博士の銅像除幕式」。記事の最後に、全身の長さ3.6m、重さ1.3トン、台座から頭頂まで7.7mで、頭の周りは66cmある、と書かれている。なお、この除幕式にはブランデージIOC会長も参加し、挨拶を述べている。 | |||||||||
回答プロセス (Answering process) | 岸清一に関する資料を当たってみたところ、 【資料2】p11「若槻禮次郎、岸清一年表」の最後に、昭和39年9月30日「県庁前に岸清一銅像復元除幕式を挙行」とあり、日付が特定できたので、当時の新聞を確認した。 資料3:岸清一の紹介(p503-516)のうち、銅像についての記述あり(p513-515)。関係者の書簡の中に「十一尺の台座の上に十二尺の像ですから、二十尺(約六メートル)以上の上に顔がある(以下略)」と大きさについての記述があるが、正確な数字はなかった。 この資料には銅像の建設および復元についての経緯が書かれている。清一没後(昭和8年)すぐに銅像建設の議が起こり、松江市出身の彫刻家・内藤伸が製作し、昭和10年10月に除幕式が行われた。しかし戦争激化の昭和18年にこの銅像も金属供出される。しかし撤去直前に当局は、後日復元する場合に原型と寸分違わぬものにするために立体写真を残していた。戦後、清一の銅像を復元しようという話が出ていたが、昭和39年の東京オリンピックの開催が決まると、その記念事業として復元の機運が高まり、島根県知事が中心となって期成同盟会が結成され募金活動等が進められた。製作者は前回と同じく内藤伸に依頼されたが、内藤は高齢と病気を理由に門下生の木村威夫・西田明史を製作者に立てた。昭和39年9月の除幕式には、岸同門会の木村篤太郎(参議院議員)、日本体育協会会長代理の栗木義彦、島根県出身のオリンピック選手であった津田晴一郎と吉岡隆徳、IOC会長のアベリー・ブランデージおよび遺族らが参列した。 | |||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | ||||||||||
NDC |
| |||||||||
参考資料 (Reference materials) |
| |||||||||
キーワード (Keywords) |
| |||||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | ||||||||||
寄与者 (Contributor) | ||||||||||
備考 (Notes) | ||||||||||
調査種別 (Type of search) | 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 団体 | |||||
登録番号 (Registration number) | 1000259342 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |