レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/09/27
- 登録日時
- 2015/07/29 14:12
- 更新日時
- 2015/10/02 14:01
- 管理番号
- 埼熊-2015-031
- 質問
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解決
南スラヴ人の統合構造についてわかる資料が見たい。
- 回答
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次の資料を紹介した。
『世界歴史大事典 19』(教育出版センター 1986)
p268「ユーゴスラヴィア」の項に以下の記述あり。
「セルビア・クロアチア・ボスニア=ヘルツェゴビナ・スロヴェニア・マケドニア・モンテネグロという高度の自治権を持つ6共和国によって構成され、(後略)」
「主要民族は、いずれも南スラヴ族であるセルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人・マケドニア人・モンテネグロ人であるが、モンテネグロ人は客観的要素はセルビア人と同じである。」
「南スラヴ諸族は6世紀に南下してきて、9世紀ごろまでに現在のそれぞれの地域に定住した。」
『ユーゴスラヴィア史 文庫クセジュ』(マルセル・ドゥ・ヴォス著 山本俊朗訳 白水社 1973)
p61-114「第二部 消滅と希望の五世紀間」
p69-「第二章 南スラヴ人の目ざめ(十九世紀前半)」
p97-「第三章 自由を求めて(十九世紀後半)」
p115-「第三部 現代のユーゴスラヴィア」
p115-「南スラヴ諸国の統合」
19世紀末のクロアティア・セルビアの動きからコルフ宣言を経て、ユーゴスラヴィアができるまでの記述あり。
『ユーゴスラヴィア史』(スティーヴン・クリソルド編 田中一生〔ほか〕共訳 恒文社 1980)
ユーゴスラヴィア国家の成立以前の南スラヴ諸国である「スロヴェニア」「クロアチア」「ダルマチア」「ボスニアとヘルツェゴビナ」「ツルナゴーラ」「セルビア」について各章毎に記述あり。
p164-189「第九章 ユーゴスラヴィア国家の成立」
『図説ハプスブルグ帝国衰亡史 千年王国の光と影』(アラン・スケッド著 鈴木淑美訳 原書房 1996)
p234-ハプスブルグ帝国時代衰退期(1867-)の南スラブの状況の記述あり。
- 回答プロセス
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『世界歴史大事典 21 総索引』(教育出版センター 1986)項目に「南スラヴ族」あり。〈ユーゴスラヴィア〉の項に導かれる。
《ウィキペディア》〈ユーゴスラビア〉の項
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2 ウィキメディア財団 2014/09/20最終確認)
「ユーゴスラビアは「南スラブ人の土地」を意味し、南スラヴ人の独立と統一を求めるユーゴスラヴ運動に由来している。」とあり。
ユーゴスラヴィアに関する資料を確認する。
- 事前調査事項
- NDC
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- バルカン諸国 (239 9版)
- 参考資料
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- 『世界歴史大事典 19』(教育出版センター 1986)
- 『ユーゴスラヴィア史 文庫クセジュ』(マルセル・ドゥ・ヴォス著 白水社 1973)
- 『ユーゴスラヴィア史』(スティーヴン・クリソルド編 恒文社 1980)
- 『図説ハプスブルグ帝国衰亡史 千年王国の光と影』(アラン・スケッド著 原書房 1996) , ISBN 4-562-02776-2
- キーワード
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- ユーゴスラビア-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000177845