レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/04/30
- 登録日時
- 2014/06/15 00:30
- 更新日時
- 2014/06/15 00:30
- 管理番号
- 滋2014-0020
- 質問
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解決
江戸時代後半のある紀行文に「守山駅に泊まる」と書いてあった。鉄道も通っていない時期なので、「守山宿に泊まる」の誤植ではないかと思う。そこで、守山宿でなくてもよいが、江戸時代に宿場を駅と称することがあったのか具体的な事例を知りたい。
- 回答
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『岩波日本史辞典』によりますと、「宿駅(しゅくえき) 江戸時代の五街道や主要脇往還の伝馬制度は、律令制の駅制や中世に発展した宿を継承したもので、その人馬の継立地であり宿泊施設のある場所を宿駅と称した。江戸時代には単に宿、あるいは宿場と称することが多く、維新期になって古代の官制が復活する中で一般に宿駅と称するようになった。(後略)」とあります。また、『日本史事典』(朝倉書店)でも、「宿場(宿駅) 古代律令制下の駅制に起源を有し、やがて旅行者の休泊や人馬の供給機能を備えた集落を宿と呼ぶようになり、これが江戸時代に至って幕藩体制上重要な交通政策を担う運輸機関としての宿場(宿駅)となった。(後略)(池田真由美)」とあります。以上のことから、江戸時代に「宿」を「駅」と称することもあったと思われます。『守山市史 上巻』、『守山市史 下巻』、『守山市誌 [第5巻] 』などを調査しましたが、「守山宿」を「守山駅」と称した事例は見当たりませんでした。しかし、『草津市史 第5巻』第5章「草津宿の生活と文化」の中に、「17滝沢馬琴、草津宿で洪水に出会う」という項目があり、馬琴の著書『壬戌覊旅漫録』(じんじゅつきりょまんろく)の享和2年7月3日の部分が掲載されていて、「程なく石部に行きて聞くに草津駅洪水にて家流れ人死す」とあります。このことは『日本随筆大成 第1期第1巻』に収録されている同書でも確認できました。享和2年は西暦1802年です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 陸運.道路運輸 (685 8版)
- 参考資料
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- 1 岩波日本史辞典 石上英一∥[ほか]編 永原慶二∥監修 岩波書店 1999年 R-2100-イ p.844
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2 日本史事典 藤野保∥[ほか]編 朝倉書店 2001年 R-2100-フ p.427 -
3 守山市史 上巻 守山市史編纂委員会∥編 守山市 1974年 S-2124-1 -
4 守山市史 下巻 守山市史編纂委員会∥編 守山市 1974年 S-2124-3 -
5 守山市誌 [第5巻] 歴史編 守山市誌編さん委員会∥編集 守山市 2006年 S-2124-5 -
6 草津市史 第5巻 [宿場史料編] 草津市史編さん委員会∥編 草津市役所 1990年 S-2121-5 p.427 -
7 日本随筆大成 第1期 第1巻 日本随筆大成編輯部 吉川弘文館 1975年 2-9148-1 p.198
- キーワード
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- 守山駅
- 守山宿
- 草津駅
- 草津宿
- 宿場
- 宿駅
- 滝沢馬琴
- 曲亭馬琴
- 壬戌覊旅漫録
- 覊旅漫録
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 2110049-2401(守山市立図書館提供)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000154268