レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/11/14
- 登録日時
- 2022/03/25 00:30
- 更新日時
- 2022/03/25 16:33
- 管理番号
- 所沢所分-2021-012
- 質問
-
解決
所沢市内で新田義貞がたどった道について地図で見たい。
鎌倉街道をたどって入ってきたのはわかるが、入間川宿から小手指ヶ原、久米川宿までの間はどの道を通ったのか知りたい。(文章ではなく地図を希望)
- 回答
-
新田義貞が、どの道をたどったかについては明確に記されている資料は確認できなかったが、以下の資料の地図や解説にある所沢市の古道、新田義貞のゆかりの地から、推測される。
〇『旧鎌倉街道』 芳賀善次郎/著 さきたま出版会 1978年
〇『旧鎌倉街道探索の旅 1』 芳賀善次郎/著 塩澤裕/構成 さきたま出版会 2017年
〇『所沢市史 地誌 付図』 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980年
〇『鎌倉街道 上つ道』 所沢市立埋蔵文化財調査センター/編集 所沢市立埋蔵文化財調査センター 2018年
〇『武蔵古道・ロマンの旅』 芳賀善次郎/著 さきたま出版会 1984年
〇『鎌倉街道平成に歩く』 塩澤裕/著 さきたま出版会 2019年
〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 2020年
〇『鎌倉街道の歴史探訪』 飯野頼治/著 山里探訪会 2015年
〇『鎌倉街道上道』 埼玉県教育委員会/編集 埼玉県県政情報資料室 1983年
〇『所沢市史研究 第18号』 所沢市教育委員会文化財保護課/編 所沢市教育委員会 1995年
〇『古道を歩く』 埼玉県立歴史資料館/編 埼玉県教育委員会 2000年
- 回答プロセス
-
1.所蔵資料内容調査
〇『旧鎌倉街道』 芳賀善次郎/著 さきたま出版会 1978年
p.5に鎌倉街道上道の全体の略地図の掲載あり。古戦場と館・城のマークもついている。
p.132-148 「久米川の宿へ」あり。
p.136 「小平から東村山へ」に地図あり。
p.145 「正福寺前を西に向かっているのは旧鎌倉街道の支道である。この道は、多摩湖の東北端から山口の中氷川神社東方・北野神社西・誓詞橋・西武線狭山ヶ丘駅南を経て入間宿に続いている。東の方への道は途中で切られているが、当時はここから久米川宿へ行けたのであろう」と記載あり。
p.157-163 「狭山丘陵越えで小手指原へ」あり。
p.158 「野口から北野へ」「北野から狭山ヶ丘へ」に地図あり。旧街道や石碑などをたどって小手指ケ原を通る道が示されている。
p.162-163 小手指ケ原周辺のこと。新田義貞と鎌倉軍が激戦となったこと。古戦場碑、白旗塚、誓詞橋などのことが記されているが、「(北野天神の)西参道前から先の旧街道は、はっきりしない。西へ直進する道がそれだとするものもあるが遠回りとなるので、道は消えたものと思われる。」と記載されている。狭山ヶ丘の先には新田義貞が陣を取った入間川宿へ続くとある。
〇『旧鎌倉街道探索の旅 1』 芳賀善次郎/著 塩澤裕/構成 さきたま出版会 2017年
上記、『旧鎌倉街道』 1978年と同様の記載があるが、「狭山丘陵越えで小手指原へ」の章なし。
〇『所沢市史 地誌 付図』 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980年
p.4 「所沢の古道」の地図あり。
東村山市から所沢市に入り、入間市にでていく鎌倉街道の道筋あり。
〇『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会/編 2020年
p.20-21 「南北朝時代の所沢」の章があり。「この時代の伝承が残る場所」の地図・イラストがある。またトピックス【新田氏伝説】に義貞の伝承について記載がある。
p.174 鎌倉街道を含む所沢市の古道の地図あり。
〇『鎌倉街道 上つ道』 所沢市立埋蔵文化財調査センター/編集 所沢市立埋蔵文化財調査センター 2018年
p.3 地図があり。所沢を通る鎌倉街道上つ道の3本(小手指道、入間川道、堀兼道)が示されている。
p.4 「小手指原と合戦」と小手指原の地図あり。小手指原が上記3本の鎌倉街道上つ道にまたがるように広がっていただろうことが推測されている。
〇『武蔵古道・ロマンの旅』 芳賀善次郎/著 さきたま出版会 1984年
p.177-182 「永源寺と小手指原」に地図あり。
何本かの道が記載されており、久米川宿から、永源寺の前を通り、西所沢、北野天神、小手指原へ続く道の記載あり。
〇『鎌倉街道平成に歩く』 塩澤裕/著 さきたま出版会 2019年
p.211 「誓詞橋・小手指原古戦場」の地図あり。
久米川、東村山、八国山、狭山ヶ丘、北野天神社、西武園などの地図あり。
×『所沢市史 上』 所沢市史編さん委員会/編 所沢市 1991年
p.313-314 「元弘の板碑と新田義貞伝承」に記載はあるが、地図なし。
p.315-316 中先代の乱と小手指ヶ原の戦いの記載はあるが地図はなし。
×『所沢の歴史と地理』 内野弘/著 内野乃布/発行 1985年
p.36-38 「小手指ヶ原の戦」 の記述はあるが地図なし。
×『武蔵野を歩く』 海野弘/著 アーツアンドクラフツ 2006年
p.151 「東村山の鎌倉道」の章の中に、将軍塚、久米川古戦場碑の記載はあるが地図は無し。
2.後日調査事項
〇『鎌倉街道の歴史探訪』 飯野頼治/著 山里探訪会 2015年
p.36 「所沢付近の鎌倉街道」の地図あり。
p.42-43 「所沢の鎌倉街道支道」あり。
〇『鎌倉街道上道』 埼玉県教育委員会/編集 埼玉県県政情報資料室 1983年
p.23-24 北野天神社から小手指ヶ原古戦場跡についての記載あり。
p.79 地図あり。
〇『所沢市史研究 第18号』 所沢市教育委員会文化財保護課/編 所沢市教育委員会 1995年
p.87-121 「鎌倉街道を歩く」あり。
p.108-121 「山口から狭山ヶ丘へ 小手指道」に記載と地図あり。
〇『古道を歩く』 埼玉県立歴史資料館/編 埼玉県教育委員会 2000年
p.18-21 「所沢から狭山へ」あり。
p.19 地図あり。
△『埼玉ふるさと散歩 所沢市』 斎藤脩治/著 さきたま出版会 1993年
p.90-91 「新田勢ゆかりの小手指ヶ原古戦場」の項目に「義貞は払暁より行動を開始し、小手指ヶ原より椿峰を経由して久米川で戦った。」と記載あり。
p.92 地図ありだが古道の記載なし。
×『所沢史話』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1974年
陣取った場所などの記載あり。
×『所沢の文化財と風土』 内野弘/著 所沢市教育委員会 1977年
「太平記に載っている新田義貞鎌倉攻めの概要ですが、この中に出る「小手指ヶ原」は広くて範囲もはっきりしません」との記載あり。
×『鎌倉街道をゆく』 栗原仲道/著 埼玉新聞社 1998年
p.142 新田、北条方の小手指原の合戦が小手指道付近で行われた記述はあるが、地図や場所の詳細の記載はなし。
×『埼玉・歴史の道50話』 埼玉県立博物館/編著 埼玉新聞社 2005年
×『わたしたちのあづま』 所沢市立南小学校(旧吾妻小学校)130周年記念事業実行委員会 編 所沢市立南小学校 2004年
×『新田義貞』 峰岸純夫/著 吉川弘文館 2005年
×『新田義貞』 山本隆志/著 ミネルヴァ書房 2005年
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 9版)
- 日本 (291 9版)
- 交通史.事情 (682 9版)
- 参考資料
-
- 旧鎌倉街道 芳賀善次郎/著 さきたま出版会 1978 682.1
- 旧鎌倉街道探索の旅 1 芳賀善次郎/著 さきたま出版会 2017.4 682.13 978-4-87891-441-6
- 所沢市史 地誌 付図 所沢市史編纂委員会/編 所沢市 1980.3 213.4
- ところざわ歴史物語 所沢市教育委員会/編 所沢市教育委員会 2006.3 213.4
- 鎌倉街道 上つ道 所沢市立埋蔵文化財調査センター/編集 所沢市立埋蔵文化財調査センター 2018 682.134
- 武蔵古道・ロマンの旅 芳賀善次郎/著 さきたま出版会 1984.4 682.134 4-87891-025-9
- 鎌倉街道平成に歩く 塩澤裕/著 さきたま出版会 2019.11 682.13 978-4-87891-467-6
- 鎌倉街道の歴史探訪 飯野頼治/著 山里探訪会 2015.7 291.3
- 鎌倉街道上道 埼玉県教育委員会/編集 埼玉県県政情報資料室 1983 682.134
- 所沢市史研究 第18号 所沢市教育委員会文化財保護課/編 所沢市教育委員会 1995 K213.4
- 古道を歩く 埼玉県立歴史資料館/編 埼玉県教育委員会 2000.3 291.3
- キーワード
-
- 小手指ヶ原
- 新田義貞
- 鎌倉街道
- 入間川宿
- 久米川宿
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000314024