レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/09/13
- 登録日時
- 2016/05/24 13:57
- 更新日時
- 2016/07/06 16:07
- 管理番号
- 埼熊-2016-006
- 質問
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解決
現在の熊谷・羽生市内で、藤原秀郷が祀られている神社を知りたい。
- 回答
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藤原秀郷を祀っているとされる神社が羽生市に1件あり、これを紹介した。熊谷市では、秀郷を祀った神社は確認できなかった。
『日本の祭神事典 社寺に祀られた郷土ゆかりの人びと』(日外アソシエーツ 2014)
「藤原秀郷」の項に「祀 避来矢神社 ひらいしじんじゃ」とあり。
「言い伝えでは、天文年間(1532~1554)に下野栃木村より巨大な石が飛来し、その石を祀ったのが神社のはじまりとされる。当初は、飛来石神社と称していたとされるが、のち、龍宮の王が百足退治の礼として藤原秀郷に授けたといわれる伝説の大鎧「避来矢」と結びつけられ現在の社号となった。」
- 回答プロセス
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1 祭神・神社の事典を確認する。
『日本の祭神事典 社寺に祀られた郷土ゆかりの人びと』(回答資料)
索引より「藤原秀郷」p80、p91にあり。
2 埼玉県の神社関連資料を確認する。
『埼玉の神社 大里 北葛飾 比企』(埼玉県神社庁神社調査団編 埼玉県神社庁 1992)
「千形神社 ちかたじんじゃ」祭神は、天津彦火(あまつひこほの)■々(にに)杵(ぎ)尊
「社名から、俵藤太藤綿秀郷の六男である千方修理太夫を祀るとの説もある。」とあり。
『埼玉の神社 入間 北埼玉 秩父』(埼玉県神社庁神社調査団編 埼玉県神社庁 1986)
「小松神社」こまつじんじゃ〔ごんげんさま〕祭神は、イザナギ・イザナミの二柱
「天慶三年(九四〇)平将門謀反のため、平貞盛が当社に討伐を祈願し、武蔵・下野押領使藤原秀郷の下に至り、軍議をもつ。将門征伐後、秀郷・貞盛はこの神恩報賽として社殿を再興する。」とあり。
「千方神社」ちかたじんじゃ 祭神は興玉命
「社伝によれば俵藤太藤原秀郷の六男修理大夫を千方といい、この地に仁政をしき、里人がその徳を偲び千方社を祀るという。」とあり。
天神社 てんじんしゃ祭神は明記されておらず、「天神座像を祀るが、本田前に同型の古い像があり、これを模したと思われることから旧神体はこの古木像であろう。」とあり。
「創建は天慶の乱に平将門を平定した藤原秀郷が、その功により、武蔵・下野二国の押領使となり、現社地に天慶三年役所を置き、守護神として当社を天神塚に祀ったのが始まりという。」とあり。
「天神社」てんじんしゃ 祭神は天神様(菅公)
「社伝によると、天慶三年平将門を平定した藤原秀郷がその功により武蔵下野二国の押領使となり、府(役所)を下野佐野及び当埴生に開き、羽生の府中に守護神として菅公を祀ったのが当社の創建である。」とあり。
3 《Google ブックス》(https://books.google.co.jp/ Google)を〈藤原秀郷 & 埼玉県 & 神社〉で検索する。
『平将門伝説』(村上春樹著 汲古書院 2001)
p27「羽生は、藤原秀郷が府を開いた場所といわれ、秀郷やその六男千方を祀る神社がある。」
p311 千葉県の神社および入間市の神社に関する記述。
p318 「避来矢神社 羽生市上村君 藤原秀郷を祀る神社という。
小松神社 羽生市小松 藤原秀郷の壮健という。
千方神社 羽生市堤 藤原秀郷の六男、千方を祀る社である。
天神社 羽生市東 藤原秀郷平将門を討伐した後、府を羽生に開いた。この時に、天神社を創建したという。」
p329小鹿野の神社に関する記述。
『加須市史 通史編』(加須市史編さん室編 加須市 1981)
p124「羽生市東谷の天神社は、葛浜氏の祖藤原秀郷の創建するところといわれ、上村君の避来矢神社は秀郷を祀り、秀郷の子千方を祀った千方社は羽生市堤や(略)にもある。」
ウェブサイトの最終アクセス日は2016年5月24日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
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- 『日本の祭神事典 社寺に祀られた郷土ゆかりの人びと』(日外アソシエーツ 2014) , ISBN 978-4-8169-2449-1
- 『埼玉の神社 大里 北葛飾 比企』(埼玉県神社庁神社調査団編 埼玉県神社庁 1992)
- 『埼玉の神社 入間 北埼玉 秩父』(埼玉県神社庁神社調査団編 埼玉県神社庁 1986)
- キーワード
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- 藤原 秀郷(ふじわら ひでさと)
- 神社
- 熊谷市(埼玉県)
- 羽生市(埼玉県)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000192606