レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/01/29
- 登録日時
- 2011/01/17 02:01
- 更新日時
- 2011/01/18 16:41
- 管理番号
- 6000002702
- 質問
-
解決
歌い出しが「聞け万国の労働者」というメーデーで歌われていた歌について、歌詞は何番まであるのか。また、その歴史についても知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料より以下の資料を紹介。
資料1:p60~66「大正の流行唄と演歌」のp62に「1920年(大正9)5月2日、わが国最初のメーデーが上野公演で開かれた。メーデー歌「聞け万国の労働者」は、22年(大正11)の第3回メーデーからうたわれ、作詞者は長い間秋田雨雀と伝えられていたが、戦後、当時池貝鉄工の労働者であった大場勇の作であることが明らかになった。曲は一高寮歌の「アムール川の流血や」を転用したものである」との記述あり。
p78~86「労働歌からプロレタリア音楽運動へ」で、日本の労働歌についての記述がある。
p239~240に「聞け万国の労働者(メーデーの歌)」の歌詞(5番まで)があり、大正11年の歌として掲載がある。
資料2:この歌の歌詞(5番まで)と楽譜(作曲者不詳)が掲載されている。また、解説があり、大正9年5月2日、日本で最初のメーデーで歌われた歌詞は、当時の社会運動家大場勇の作で、曲は「アムール河の流域」をあてはめたとある。
資料3:「大場勇」の項目があり、1922(大正11)年、メーデー歌「聞け万国の労働者」を作詞したとある。
<2011/11/5追記>
〔Wikipedia:メーデー歌〕http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%BC%E6%AD%8C(最終確認2010/11/5)より、
メーデー歌・・・日本の労働歌。作詞は大場勇、曲は永井建子の軍歌。歌い出しから「聞け万国の労働者」とも呼ばれ、JASRACには栗林宇一作曲として登録されているが、原曲とされてきた「アムール川の流血や」と「歩兵の本領」は栗林宇一作曲、永井建子作曲の両方で登録されるという矛盾がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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この歌の作詞は、大場勇。作曲は、栗林宇一。原曲は「アムール川の流血や」ということは知っている。
- NDC
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- 声楽 (767 8版)
- 参考資料
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- 日本流行歌史,上,古茂田信男/〔ほか〕編,社会思想社,199409, (1994、p60~66「大正の流行唄と演歌」、p78~86「労働歌からプロレタリア音楽運動へ」、p239~240「聞け万国の労働者(メーデーの歌)」 【資料1】)
- 歌おう大正時代,高橋 整二/編,高橋整二,1999.2, (1999、p236「聞け万国の労働者」 【資料2】)
- 近代日本社会運動史人物大事典,1,近代日本社会運動史人物大事典編集委員会/編,日外アソシエーツ,1997.1, (1997、p649「大場勇」 ※貸出禁止資料 【資料3】)
- キーワード
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- メーデー歌(メーデーカ)
- 労働歌(ロウドウカ)
- 大場勇(オオバ,イサム)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000076677