レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/12/15
- 登録日時
- 2012/03/31 02:00
- 更新日時
- 2012/03/31 02:00
- 管理番号
- 千県東-2011-0006
- 質問
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解決
「稲むらの火」は小泉八雲が書いたものをもとに、中井常蔵という教員が書いたとのことだが、
(1)八雲はどのようにして稲むらの火のことを知ったのか。
(2)中井常蔵はどこで八雲が書いたものを知ったのか。
(3)八雲が書いたものも見てみたい。
- 回答
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(1)八雲はどのようにして稲むらの火のことを知ったのか。
以下の2冊に記述がありました。
・『小泉八雲作品集 3』のp295-314の解説、p331-334の小泉八雲年表によると、1890(明治23)年、40歳の時来日。彼が作品を書き、発表したのはアメリカの新聞や、『大西洋評論』などの米国雑誌であった。アメリカで新聞記者として生計を立ててきたハーンは、日本へ来ても新聞に興味を寄せた。来日以降のハーンの執筆動機にはその種のジャーナリスティックなものが幾つかまじっており、その一つが1896(明治29)年6月の「三陸大津波」であったそうである。
この出来事をもとに書かれたのが、「A Living God」(生神様)で、同年12月号の『大西洋評論』誌に発表された。ハーンは三陸大津波の直後、今回の天災とあわせて報ぜられた42年前のこの安政津波の故事を家人に朗読させた時、この稲むらの火を深く印象に留めた。ハーンは広村を訪ねたことはなかったが、この素材をもとに芸術家としての自由な空想を働かせて彼なりの「生神様」を書いたとのことであった。
・『もえよ稲むらの火 村人を津波からまもり堤防をきずいた浜口梧陵』のp25-29にも、同様のことが平易な文体で記載されている。
(2)中井常蔵はどこで八雲が書いたものを知ったのか。
以下の2冊に記述がありました。
・『「稲むらの火」の文化史』のp58-67「ハーンの翻案とその受容」のp59に、
「中井常蔵は、1907(明治40)年、和歌山県有田郡湯浅町生まれ。県立耐久中学校から、和歌山師範学校本科第二部へ進む。生まれ故郷の湯浅小学校の訓導を一年つとめた後、和歌山師範学校専攻科を卒業。(中略)彼がハーンの作品に触れたのは、和歌山師範の専攻科に在籍していたときだった。英語学習テキストに『ラフカディオ・ハーン集』が使われ、そのなかにA Living Godが載せられていたのである。それを読んで、郷土の偉人の言動に深く打たれたらしい。」とあります。
・『もえよ稲むらの火 村人を津波からまもり堤防をきずいた浜口梧陵』のp14-15にも、同様のことが、平易な文体で記載されている。
(3)八雲が書いたものも見てみたい。
「稲むらの火」のもとになった小泉八雲の話は原題”A Living God”であり、以下の資料に収録されています。
・『仏の畑の落穂 他』の「生神」p3-29
・『小泉八雲作品集 3』の「生神様」p125-149
・『日本の心』の「生神様」p209-233
なお、「稲むらの火webサイト」(http://www.inamuranohi.jp/)にて、八雲の「A Living God」(英文)の画像とテキスト全文が閲覧できますので、併せてご紹介します。
(インターネットの最終アクセス:2011年3月29日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 地震学 (453 9版)
- 参考資料
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- 『小泉八雲作品集 3』(ラフカディオ・ハーン著 森亮ほか訳 河出書房新社 1988)338p (9100907565)
- 『もえよ稲むらの火 村人を津波からまもり堤防をきずいた浜口梧陵』(桜井信夫作 PHP研究所 1987)145p (9600673782)
- 『「稲むらの火」の文化史』(府川源一郎著 久山社 1999)116p (0105529093)
- 『仏の畑の落穂 他』(小泉八雲著 平井呈一訳 恒文社 1988)492p (2100748546)
- 『日本の心』(小泉八雲著 平川祐弘編 講談社 1990)397p (9100898724)
- キーワード
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- 稲むらの火
- 津波
- 安政南海地震
- 紀伊国
- 広村(和歌山県)
- 広川町(和歌山県)
- 浜口梧陵
- 中井常蔵
- ラフカディオ・ハーン
- 小泉八雲
- 浜口儀兵衛
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000104579