レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年01月21日
- 登録日時
- 2020/02/21 18:12
- 更新日時
- 2020/02/29 13:35
- 提供館
- 岐阜県図書館 (2110001)
- 管理番号
- 岐県図-2560
- 質問
-
未解決
旧清見村(現高山市清見町)に「斐太彦天文所」という私設の天文台があったが、いつ頃どこに開設したのか、またいつまであったか。
- 回答
-
1 開設について、正確な日付は確認できなかったが、以下の雑誌記事・新聞記事により1976年(昭和51年)のことと考えられる。また場所は清見村夏厩の旧小学校跡地で、現在の飛騨プラネタリウムと同じ敷地にあった。
・『星と人 14号』(斐太彦天文処,1980年刊) … 「編集後記」(坂井義雄著)には「昭和51年の夏、斐太彦天文処の開設まじかなひととき…(以下略)」とある。
・中日新聞1978年6月23日p.13「軌道に乗る斐太彦天文処」 … 「開設してから今夏で3シーズン目」とある。
・中日新聞1984年3月18日p.11「清見村の斐太彦天文処」 … 「今年で9年目をむかえる」とある。
・中日新聞1985年8月 6日p.14「清見村がプラネタリウム建設 斐太彦天文処の横に」
2 いつまであったかについても、確かな資料は見つけられなかった。以下の新聞記事等より、少なくとも1990年から1991年ごろまでは活動していたと考えられる。
・中日新聞1990年8月 8日p.21「レビー彗星に尾の赤ちゃん 斐太彦天文処で撮影に成功」
・中日新聞1991年6月28日(長野版記事)「北ア一望の天文台完成」 … 小川天文台に関する記事。望遠鏡の設計と指導について、「現在、岐阜県大野郡清見村に私設の「斐太彦天文処」を開処している坂井義雄さん(68)=岐阜県岐南町=があたった」との記述がある。
3 小川天文台ホームページに掲載されている「小川天文台の歴史(5)岐阜金華山天文台・坂井義雄の思い出」(坂井義人著)では、活動が平成2年まで続いたとの記述がある。
http://www.bekkoame.ne.jp/~masa-ki/ogawa_tenmondai/histry/history_05.html 2020年2月確認
4 清見村の過去の住宅地図を確認したところ、2002年度版までは同じ敷地に斐太彦天文処と飛騨プラネタリウム、青少年学習センターの3つが併記されており、このころまで施設が存在した可能性がある。
5 新聞記事などとはくい違いがあるが、『岐阜県博物館調査研究報告 第37号』に掲載されている「岐阜県博物館協会加盟館の閉館状況まとめ」では、「1972開館→1986飛騨プラネタリウム(公営)→小川天文台(長野県小川村)と記載されている(p.12)。
- 回答プロセス
-
1 「斐太彦天文所」で蔵書検索すると、機関誌『星と人』が該当するが、開館、閉館の年はわからなかった。
2 新聞記事を検索し、上記記事より開館年、活動年を推定。
3 ウェブ検索し、小川天文台ホームページの論文を参照。
- 事前調査事項
-
1 1988年に作られた夏厩郵便局の風景入日付印(絵入りの消印)に描かれているが、どういったものだったのかが分からない。
http://www.pulanari-postmarks.com/gifu/gifu-takayama.html 2020年2月確認
2 「山本一清博士と遺愛カルバー46cm反射望遠鏡」という2012年の論文に、論文著者(坂井義人氏)の父・坂井義雄氏が斐太彦天文処を作った、とある。坂井義雄氏は京大の天文学者・山本一清に師事した在野の天文学者らしい。
http://hdl.handle.net/2433/158305
https://www2.nao.ac.jp/~mitsurusoma/gendai3/037-053Sakai.pdf
- NDC
-
- 実地天文学.天体観測法 (442 9版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000274271