レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年7月27日
- 登録日時
- 2021/07/23 13:17
- 更新日時
- 2021/07/29 22:32
- 管理番号
- 県立長野-21-064
- 質問
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解決
江戸時代の戸隠神社への参道には、どのような道があるのか。『秩父坂東湯殿山記行』では、善光寺から戸隠神社へ行き、戸隠から柏原へ抜けている。
- 回答
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善光寺から戸隠
『秩父坂東湯殿山記行』の書かれた江戸時代中後期には、善光寺へ参詣した後、戸隠神社へも詣でることが多かったらしい。『日本歴史地名大系20 長野県』平凡社 1979【291.03/ニホ/20】p.957戸隠道(とがくしみち)に
戸隠山は平安時代から霊験所として四方に聞こえ(梁塵秘抄)、修験僧の登山する者が多かったが、
鎌倉時代以後は庶民の信仰が盛んになり、その登山道が諸方から開かれた。その一は善光寺から七通
(ななとおり)坂(俗に七曲(ななまが)り)を経て新安(あらやす)に至り、飯縄原(いいづなは
ら)を経て戸隠中院(ちゅういん)に至ったもので、(-中略-) 飯縄原の道は古くからあったと推察
される。(-後略-)
とある。
また、『歴史の道調査報告書XVI-XXII』 長野県教育委員会編 長野県文化財保護協会 1987 【N682/53-1/4】に収録されている「歴史の道調査報告書XVI 戸隠道」の「戸隠表参道」p.6-9の七曲り経由に地図と詳細がある。その他の経路(西長野方面、鬼無里方面など)も、この資料に記されている。
戸隠から柏原
「戸隠山道」「裏参道」などと呼ばれている道になる。上記の「歴史の道調査報告書XVI 戸隠道」p.38-42に地図と詳細があり、戸隠神社中社から黒姫山の山麓を巻いて現在の信濃町の町道仁ノ倉(にのくら)線で信濃町へ至る道となっている。ただし、現在の県道36号(信濃信州新線)は明治以降の新戸隠道で、江戸期以前の道はさらに山側を通っていたようだ。現在の戸隠牧場の先で県道36号と分岐し、信濃町仁ノ倉で合流し柏原へ至る。
『長野県上水内郡誌 歴史篇』 上水内郡誌編集会編・刊 1976 【N212/93/2】 p.1083には、「上水内郡の交通路」として、主な道の概略図がある。
- 回答プロセス
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1 『角川日本地名大辞典 20 長野県』と『日本歴史地名大系20 長野県』を確認する。
2 『歴史の道調査報告書XVI-XXII』の「戸隠道」を確認する。
3 『長野県上水内郡誌 歴史篇』を確認する。
<調査済み資料>
・『戸隠村誌』 戸隠村誌刊行会編・刊 1962 【N212/21】
・『戸隠信仰の歴史』 戸隠神社1997 【N171/37】
・『戸隠信仰の諸相』 戸隠神社 2015 【N171/63】
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 10版)
- 交通史.事情 (682 10版)
- 参考資料
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日本歴史地名大系 20. 平凡社, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005629726-00 , ISBN 4582490204 (【291.03/ニホ/20】p.957) -
長野県教育委員会/編 , 長野県教育委員会. 歴史の道調査報告書 16〜22 復刊版. 長野県文化財保護協会, 1987-12.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059051162-00 (【N682/53-1/4】) -
上水内郡誌編集会 編. 長野県上水内郡誌 歴史編. 上水内郡誌編集会, 1976.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001228661-00 (【N212/93/2】 p.1083)
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日本歴史地名大系 20. 平凡社, 1979.
- キーワード
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- 戸隠表参道
- 戸隠裏参道
- 戸隠山道
- 柏原宿
- 七曲り
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000302079