レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年05月30日
- 登録日時
- 2021/01/07 17:27
- 更新日時
- 2021/01/08 14:22
- 管理番号
- 横浜市中央2609
- 質問
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解決
横浜中華街に中華料理店が増えたことがわかる統計とその要因をまとめた資料を見たい。
- 回答
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1 横浜中華街に中華料理店が増えたことがわかる統計資料
下記の資料に店舗数の推移の統計の掲載があります。
なお、資料ごとに調査・集計方法が異なるため、他の資料とデータが一致しないものも
あります。
(1) 『横浜中華街の研究 華僑商人にみる街づくり』
菅原一孝/著 日本経済新聞社 1988.1
p.95-114 「中華街の歴史」
明治32(1899)年に「内地雑居令」により中国人の居住と営業の自由が認められ、
許可された職種の一つが料理であったこと、中国料理が後年日本人の食生活の
し好に合ったことで繁栄につながったことが書かれています。
p.108 「表4-1 中華街一帯の業種別店数推移」
明治20(1887)年から昭和62(1987)年までの推移が掲載されています。
中華料理店はこの期間に10店舗から141店舗まで増えていることがわかります。
(2) 「横浜中華街の発展経過」神田政雄
(「経済系」188集 関東学院大学経済学会 1996.7)p.195-206
p.200-202 「Ⅲ 横浜中華街の繁栄をもたらした主な原因」
表の掲載はありませんが、繁栄の原因と中華料理店の店舗数の推移について
まとめられています。
「昭和37年の時点では中華料理店は60店、54年には95店、57年には108店、
60年には126店、そして63年に135店へと増加し、平成8年の現在は約185店
有るはずである。」
(3) 「横浜中華街と神戸南京町 東西チャイナタウン比較への試み」池田和子
(「地域と社会」5号 大阪商業大学比較地域研究所/編 2002.8)p.123-152
p.141-146 「4.華僑と料理業」
p.144 「両中華街店舗数および華僑職業構成」
先行研究のデータ等からまとめた店舗数の推移の表が掲載されています。
中華料理店は昭和2(1927)年の10店舗から平成2(1990)年の141店舗まで
増えていることがわかります。
「大阪商業大学学術情報リポジトリ」で閲覧できます。
http://id.nii.ac.jp/1297/00000364/
(4) 「横浜中華街の発展とブランドイメージ」長友麻苗未
(「学芸地理」64号 東京学芸大学地理学会/編 2009)p.70-82
p.72-75 「2.店舗構成の変化とその要因」
p.73 「第1表 横浜中華街の店舗数とその構成の変化」
昭和23(1948)年から平成20(2008)年までの店舗数の推移の表が
掲載されています。先行研究のデータと筆者の調査をまとめたもので、
中華料理店は昭和23(1948)年の320店舗から昭和37(1962)年の25店舗に減り、
その後、平成20(2008)年には216店舗まで増えています。
「東京学芸大学リポジトリ」で閲覧できます。
http://hdl.handle.net/2309/110314
なお、昭和23(1948)年のデータの出典である
『横浜中華街 とんぼの本』(佐藤和孝/他著 新潮社 1988.5)を確認したところ、
「料理屋三二〇軒」と書かれており、中華料理店に限定されていませんでした。
2 発展した過程や要因について記述のある資料
中華街が発展した過程や中華料理店が増えた要因について記述がある資料をご紹介します。
(1) 『横浜市史 Ⅱ 第2巻(下)』
横浜市総務局市史編集室/編 横浜市 2000.3
p.289-290 「野毛町と中華街の整備」
平沼市長と半井商工会議所会頭が横浜中華街の活性化を考え、
1953年12月に中華街振興委員会を組織したことが書かれています。
中華街振興委員会の方針としては下記のように書かれています。
「中華街全域に亙る道路の整備、関帝廟など中国情緒豊かな施設の修理・整備、
実績ある中華料理店に積極的な宣伝を求め、戦前に栄えた仕立て業を再興する、
低料金の中華料理店を整備するなどの方針を建てた(一九五三年一二月七日)。」
(2) 『横浜・中区史 人びとが語る激動の歴史』
中区制50周年記念事業実行委員会/編著 1985.2
p.353-354 「中華街」
昭和53(1978)年3月、「横浜ランプまで高速道路横羽線の開通があって、
主として東京方面からの客も速く容易に来られるようになったこともあって、
中華街はますます観光名所となっていた。料理店を中心として、中国工芸品、
雑貨店、中華菓子店のほか、食肉店、薬品店など、あらゆる店が増加していった。」
(3) 『もっと知りたい華僑』 戴国〔キ〕/編 弘文堂 1991.7
p.108-110 「横浜中華街の発展」
中華料理店が繁盛している理由として、様々な大衆向きの料理店が集まっていること、
周囲の環境の良さ、牌楼門が中華街の目印としてわかりやすいことが挙げられて
います。
(4) 『横浜中華街探検』 菅原一孝/著 講談社 1996.2
p.58-61 「中華料理店はなぜ増えた」
戦後、食生活が変化して日本人が肉を食べられるようになったこと、
海外旅行の増加によるし好の変化を要因として挙げています。
(5) 『チャイナタウン』 山下清海/著 丸善 2000.8
p.77-80 「中国ブーム、グルメブームのなかで」
1972年の日中国交正常化により中国ブームが起きたことで、中華街への関心が強まり、
1980年代のグルメブームにより中国料理への関心が一層高まったと書かれています。
また、中心業務地区に隣接しているという恵まれた立地条件も発展要因の一つだと
書かれています。
(6) 「変貌し続ける横浜中華街」小田巻滋
(「地図中心」471号 日本地図センター 2011.12)p.7-14
中華街の歴史がまとめられています。中華料理については、来日した中国人が身に
つけていれば食べるのに困らないとされていた三把刀(料理業、理髪業、服飾業)の
中から料理業が伸長し中華街の象徴的な存在となっていったと書かれています。
(URL最終確認 2020年12月25日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 商業史.事情 (672 8版)
- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000292032