レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年11月20日
- 登録日時
- 2021/03/18 10:06
- 更新日時
- 2021/03/18 10:22
- 管理番号
- 横浜市中央2622
- 質問
-
解決
日本で最初の喫茶店について書かれた資料を探している。
- 回答
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日本で最初の喫茶店(珈琲店)として、多くの資料で紹介されているのは
東京下谷西黒門町(現在の上野黒門町)に明治21(1888)年に鄭永慶が開店した
「可否茶館(かひちゃかん・かひさかん・かひいちゃかん)」です。
他に日本で最初の喫茶店として資料に記述のあるお店として
「放香堂」「カフエーパウリスタ」「アリエ・カフェ」がありますが、
珈琲を提供するという目的が明確に記録に残っている「可否茶館」を
最初の喫茶店とすることが定説となっています。
以下、記載があった資料を紹介します。
1 可否茶館
(1)『明治文化全集 別巻 明治事物起原』 明治文化研究会/編 日本評論社 1969
p.1320
珈琲の始「店舗を構へて珈琲を飲ませることは、實に鄭氏の可否茶館に始る。」
可否茶館「二十一年四月六日、東京下谷區西黑門町二番地に解説せる『可否茶館』は
志那の茶館、西洋のカツヘーを狙ひ」との記載があります。
また、可否茶館の紹介の中に大正震災後の都下の珈琲店について、
「大正震災後」「間もなく、南鍋町に、カフェーパウリスタ」との記述があり、
「カフェーパウリスタ」の開店は「可否茶館」以降となっています。
(2)『舶来事物起原事典』 富田仁/著 名著普及会 1987.12
p.125-127
「最初のコーヒー店が上野の黒門町に開店したのは明治21年のことであった。
鄭永慶という長崎の唐通詞の子孫がその経営者で、店内には玉突き台があり、
トランプや便箋封筒も用意されたフランス風の店であったといわれている。」
「この最初のコーヒー店は「可否茶館」という洒落た名で」との記載があります。
(3)『日本全国発祥の地事典』
日外アソシエーツ株式会社/編 日外アソシエーツ 2012.7
p.178
日本最初の喫茶店発祥の地「1888(明治21)年4月鄭永慶(別名・西村鶴吉)が、
東京都台東区上野に可否茶館(かひさかん)を開店した。これが日本初の喫茶店であっ
たといわれる。」との記載があります。記念碑の内容と所在地が紹介されています。
(4)『食の風俗民俗名著集成 第16巻 日本珈琲概史』 東京書房社 1985
p.126
「東京の街中に本格的のコーヒー店らしい形態を生じたのは、明治二二(1888)年
上野の黒門町に「可否茶館」ができたのが最初であって」との記載があります。
また、同時代のコーヒーの普及状況について、詩人尾崎喜八氏からの伝聞を元に、
コーヒーは「西洋人の宿泊するホテル等では、早くから飲まれていたのは無論の事で
あって」と解説しており、「可否茶館」以前からコーヒーを扱う場の存在が伺えます。
(5)『日本最初の喫茶店 「可否茶館」の歴史』 星田宏司/著 いなほ書房 2008.4
p.21-22 第一章『可否茶館』の歴史 日本最初の珈琲店
「東京下谷西黒門町に開店された『可否茶館』が、日本最初の珈琲店であるといって
よい。」との記載があります。
(6)『日本カフェ興亡記』 高井尚之/著 日本経済新聞出版社 2009.5
p.93
日本で最初の喫茶店は、「一八八八(明治二二)年に東京・下谷西黒門町
(現在の台東区上野)に開店した「可否茶館」といわれる」
p.95
「一九一一(明治四四)年に、銀座に相次いで3つの店が誕生した。四月に開店した
「カフェー・プランタン」(現在の銀座八丁目)、「カフェー・ライオン」(同銀座四丁目)、
そして一二月に開店した「カフェー・パウリスタ」(同銀座七丁目)である。」との記載
があります。
2 放香堂
(1)『神戸とコーヒー 港からはじまる物語』
UCCコーヒー博物館/監修 神戸新聞総合出版センター 2017.10
p.12-18 コーヒー店の発祥は神戸?
「元町にあって、早くもコーヒーを提供していたのが、天保年間創業の日本茶の老舗
『放香堂』だ。一八七四年(明治七年)、(中略)「印度産珈琲」の看板が見える。」
との記載があります。また、1878年の読売新聞広告に珈琲の販売についての記述も
あると述べています。
(2)『珈琲遍歴』 奥山儀八郎/著 旭屋出版 1983.2
p.229-230
明治11(1878)年の放香堂の広告を紹介したのち「放香堂の広告で見れば「弊店に
て御飲用」とあるから、飲ませる席の設備もあったと見える。」とした一方で「東京の
可否茶館よりも十年早いことになるが、この店はそれ以上の何の資料も残っていない。」
と述べています。
3 カフェーパウリスタ
(1)『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた カフエーパウリスタ物語』
長谷川泰三/著 文園社 2008.11
第1章・第2章にて、「カフェーパウリスタ」の歴史が書かれています。
開業は明治40年代とされ、「可否茶館」についての記載はありません。
銀座店が明治44(1911)年に開業した最初の本格喫茶と述べながらも、前年に箕面に
店舗があった可能性を考察しています。
4 アリエ・カフェ
(1)『横浜もののはじめ考』 横浜開港資料館/編 横浜開港資料館 2010.3
p.60-61
英字の開業広告(J.C.N. , 1864.3.14)を根拠に
「可否茶館が珈琲店の元祖であるという。横浜居留地では勿論これよりずっと早い。」
「「カフェ」と銘打った店は、一八六四年三月開業のアリエ・カフェを皮切りに、この
年のうちにグラン・カフェ・デュ・ジャポンとヴィクトリア・コーヒー・ハウスが開店
した。」との記載があります。
また、『横浜事物起源』(〔19〕サインブックの始め)に雨森信成という人物が
「文久二年の頃になつて、外人の希望から喫茶店を開業した」という記述がありますが、
こちらは誤りであるという考察が載っています。
5 その他、可否茶館・喫茶店の歴史について
(1)『琥珀色の記憶 らんぷの本』 奥原哲志/著 河出書房新社 2002.5
p.75
「可否茶館」の紹介のほかに、「明治九年(一八七六)に写真師の下岡蓮杖が
浅草観音堂の境内にコーヒー茶屋を開き、また、明治一九年(一八八六)には日本橋
小網庁に洗愁亭というコーヒー店が開店したとの記録があるが、いずれも店の規模、
内容、存続期間とも明らかではなく、どのようなみせであったのかはよくわかっていな
い。」との記載があります。
(2)『図説明治事物起源事典』 湯本豪一/著 柏書房 1996.11
p.290
(3)『珈琲の世界史 講談社現代新書』 旦部幸博/著 講談社 2017.10
p.191-192
(4)『コーヒーと日本人の文化誌 世界最高のコーヒーが生まれる場所』
メリー・ホワイト/著 創元社 2018.6
p.17
(5)『黎明期における日本珈琲店史』 星田宏司/著 いなほ書房 2003.9
p.21
(6)『図説コーヒー ふくろうの本』
UCCコーヒー博物館/著 河出書房新社 2016.10
p.32
(7)『コーヒーの歴史 「食」の図書館』 ジョナサン・モリス/著 原書房 2019.5
p.170
(8)『コーヒーのグローバル・ヒストリー』 小澤卓也/著 ミネルヴァ書房 2010.2
p.290
(9) 国立国会図書館 本の万華鏡
(http://rnavi.ndl.go.jp/kaleido/entry/jousetsu124.php)
喫茶店の歴史に関する資料が紹介されています。
※インターネット情報の最終確認日:2021年1月12日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 商業経営.商店 (673 8版)
- 衣食住の習俗 (383 8版)
- 食品.料理 (596 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000295357