レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/12/20
- 登録日時
- 2012/03/24 02:00
- 更新日時
- 2012/03/27 10:44
- 管理番号
- 千県中参考-2011-0017
- 質問
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未解決
地図への標高の記載は、明治から始まったと記憶しているが、記載は何年から始まったか。
- 回答
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【標高と地図について】
1.地図への標高の記載が、いつから始まったかについて時期を特定することはできませんでしたが、国立国会図書館の調査から以下の情報を確認することができました。
国立国会図書館所蔵の『陸地測量部沿革誌 第1至5編』の目次の明治7年の項に「最初ノ近世式地圖及其ノ複作」(p7、8)があり、附図、附表の目次にも「附圖第4(最初の近世式地圖)」とあることがわかりました。
附圖第4は「最初ノ近世式地圖(下総國習志原東南地方之図ノ一部)、明治8年測図」で、等高線と思われる線及び数字が記入されています。
2.その後の調査で、上記の附圖第4の全体図にあたると見られる『習志野原及周回邨落圖』(明治8年野営演習之日製之)を当館で所蔵していることが、『資料の広場 21号(千葉県関係地図資料)』(千葉県立中央図書館編 千葉県立中央図書館 1991.3)から判明。確かに等高線と思われる線及び標高と思われる数字が書かれていることを確認しました。
この地図については、当館千葉県資料室でご覧になることができます。
3.現時点で、図書館として調査できることは以上ですが、国土地理院に御照会になるとはっきりしたことが分かるかもしれません。
【参考:日本の標高測量の沿革について】
1.東京都中央区新川の霊岸島(れいがんじま)水位観測所に、国土交通省関東地方整備局荒川下流河川事務所の管轄する「日本水準原点と霊岸島水位観測所」の案内板があり、以下の記載があります。
「日本の近代測量は明治初期に始まりました。当時の測量方法は主要河川の河口部に水位を測るための「量水標」を設け測量を行うときには近くの「量水標」の平均海面データを用いていました。「量水標」の主なものは、明治5年に利根川河口の「銚子量水標」が日本初で、翌明治6年にここ霊岸島に、明治7年に江戸川と淀川の河口にと、全国の主要河川でそれぞれ設置されました。(中略)その後、測量技術などの進歩に伴い、平均海面のデータの全国統一が考えられ、そのとき選ばれたのがここ霊岸島水位観測所だったのです。」
2.量水標については、国土地理院のホームページに以下のような記載があります(http://www.gsi.go.jp/WNEW/koohou/475-5.htm)。
オランダ人技師I・Aリンドは、報告書の中で、「1872年(明治5年)の末に於ける吾が水平測量を以て各所の高低の基点(ファスト・ピュント)を定む。而して之に江戸川にての其の位置景況を副記すること表の如し。此の高低は皆一所にて定むる所の基本水準面より割り出したるものにして、則ち飯沼水位の零点なり・・・。」(出典:昭和12年6月23日東京日日新聞千葉版)と、江戸川沿いに設けた基点の高さについても、利根川河口に設けた水位尺の零目盛をとおる面を基準面にして求めた高さであるとしています。
これを名づけて日本水位(J.P:ジャパン・ペイル:Peilは
オランダ語で水準の意)と呼んで「関東全域の高さの基準」としました。
3.国土交通省 関東地方整備局 利根川下流河川事務所のホームページにも、2を裏付ける以下の記述が確認できました(http://www.ktr.mlit.go.jp/tonege/sizen/iinuma.html)。
「来日したリンドは、明治5年5月4日(1872.6.9)、利根川の境町を皮切りに飯沼・中田・布川・石納・賀村、江戸川の堀江・今上・湊新田・中島、新利根川の上須田等11箇所に水位尺(量水標)を設置し、水位観測を行いました。1872年末、リンドは、銚子の飯沼(銚子市馬場町1-1)に水準原標石を設置し、水準測量の原点と定め、これを基準に飯沼水位尺(量水標)の零位を「日本水位尺 Japan Paile」略してJ.P.と名付けました。
次に、銚子から堀江への測量を行い、堀江水準原標石(浦安市堀江4-1 清滝神社)を設置し、堀江水位尺(量水標)の零位を「Yedokawa Peil」略して、Y.P.と名付けました。
さらに、明治6年(1873)6月10日隅田川河口の霊岸島に水位尺(量水標)を設置し、水位観測を行い、その零位を「Arakawa Peil」略してA.P.と名付けました。
その後、明治9年9月には、内務省がリンドの設置した霊岸島の量水標を用い水位観測を行い東京湾中汐を決定し、その7年後、陸軍参謀本部測量課により、霊岸島量水標の水位観測結果から東京湾中等潮位(T.P.)を決定しました。これが、標高の零点で、現在も使われおり、T.P.から「日本水準原点」(東京都千代田区永田町1-1-1)が定められました。」
なお、リンドの水位と標高、現在の水位と標高の関係を示した分かりやすい図が、同じページに掲載されています。
4.千葉県立中央図書館では、これらに関連する資料として、『霊岸島量水標零位と東京湾中等潮位並に堀江量水標零位との関係』を所蔵していることも確認できました。
(インターネットの最終アクセス:2011年12月18日)
- 回答プロセス
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1.まず、標高の定義を参考図書で確認。『地図学用語辞典 増補改訂版』(日本国際地図学会地図用語専門部会編集 技報堂出版 1998)によると、標高とは、「平均海面から測定した地表上の点または面までの垂直距離。基準点測量作業規程準則(昭和27年経済安定本部令第9号)第7条第1項に「日本水準原点を基準とする高さ」を標高とよぶことが定められている。地形図に表示されている標高点の数値は、測量結果の数値(真高)ではないことが多い。」との記述があります。
一方、平均海面の項目には以下のような説明があります。
「わが国の地形図等に表示する高さの基準は東京湾平均海面を用いるが、この面は東京湾の霊岸(れいがん)島で、明治6~12(1873~79)年の6年間の量水標観測の結果によって定められたものである。」
また、日本水準原点の項目には、「わが国における高さの基準とする点。測量法施行令で次のように定められている。地点:東京都千代田区永田町一丁目一番地内水準点標石の水晶板の零分画線の中点、原点数値:東京湾平均海面上24.5000mの数値で設定したが、関東地震による地盤変動に伴い現在の値に改定された。」
加えて、真高(しんこう)には、「平均海面からの高さで、測量で得た数値そのままのもの。地図に表示する場合には、たとえばメートル以下1位でとめるとき2位以下を四捨五入等の処理をするので、地図に標示した高さは真高の数値と異なることがある。」
2.読売新聞1988年6月28日付け東京夕刊11頁によると、「日本水準原点は、(中略)明治24年5月、国土地理院の前身である陸軍参謀本部陸地測量部によって設置」とあります。
3.他方、明治時代の地図づくりについては、『地図の科学』(山岡光治著 ソフトバンククリエイティブ 2010)p46-49に記述があります。
概要としては、伊能図以降、各地の地形図作成を始めたのは、「工部省(鉄道周辺など)、内務省地理局(東京周辺と主要都市)、地質調査所(日本全国)、陸地測量部(日本全国)、北海道開拓使(北海道)といった各役所」。
「測量と地図作成を担当する唯一の国の機関である国土地理院は、1869年に民部官に設置された庶務司戸籍地図掛、あるいは1871年に設置された兵部省参謀局の間諜隊諜報係が源となり、陸地測量部へと連なります。」
「1871年には工部省に測量司が設置され、(中略)翌年には、東京府下の土地測量に関連した三角測量が開始されます。1874年になると、工部省の測量事業を内務省地理寮が引き継ぎ、新たに「関八州大三角測量」と名づけられて、測量の範囲が東京府下から関東周辺へ広げられます。さらに1877年には「全国三角測量」と名称を変えて、関東周辺から近畿地方まで三角測量が広げられ、地図を作成することを目指します。」
「陸地測量部が、本格的な全国の測量と地図作成に着手するのは1883年以降です。(中略)一方で、1879年には、旧地質調査所の前身となる内務省地理局地質課が発足します。(中略)1888年に「百六十万分の一日本全図」として完成します。地質課が作成した日本全図は、本格的な三角測量にもとづいてはいませんが、陸地測量部に先がけた、伊能忠敬以降最初の実測日本全図となりました。」
以上のように、地図の作成が明治前期に本格化したことは読み取れますが、標高の記載が何年から始まったかの記述は確認できません。
4.官報発行以前に、新聞に発表されていた国等の布達を調べてみたところ、標高関連では以下のことが分かりました。(出典:『読売新聞』)
(1)内務省が明治9(1876)年7月27日付け布達で、標高測量で使用する海面よりの高低表す記号を定めています。この布達は、インターネットでご覧になれます。(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787956/287)
(2)東京府知事が明治9(1876)年9月25日付けで、標高を示す標柱を移動する時は、府庁へ申し出ることを通達しています。
5.この他、『測量・地図百年史』(測量・地図百年史編集委員会編集 日本測量協会 1970)、『測量 古代から現代まで』(武田通治著 古今書院 1979)などが参考となりそうなのですが、お尋ねの「標高の地図への記載が何年から始まったか」の記述は、精読しておりませんが確認できませんでした。
年代を特定した記述が確認できなかった資料
『測量・地図百年史』(測量・地図百年史編集委員会編 日本測量協会 1970)、『測量 古代から現代まで』(武田通治著 古今書院 1979)、『地図学用語辞典 増補改訂版』(日本国際地図学会地図用語専門部会編集 技報堂出版 1998)、『地図と測量のQ&A』新版(財団法人日本地図センター編 2003)、『近世絵図と測量術』(川村博忠著 古今書院 1992)、『近世日本の地図と測量』(鳴海邦匡著 九州大学出版会 2007)、『近代日本の地図作製とアジア太平洋地域』(小林茂著 大阪大学出版会 2009)
- 事前調査事項
- NDC
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- 地球.天文地理学 (448 9版)
- 測量 (512 9版)
- 参考資料
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- 『陸地測量部沿革誌 第1至5編』(陸地測量部編 陸地測量部 大正11 319p 図版20枚 23cm) (国立国会図書館所蔵 全国書誌番号|43033402,原本代替請求記号【YD5-H-398-89 】(マイクロフィッシュ))
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『霊岸島量水標零位と東京湾中等潮位並に堀江量水標零位との関係』(内務省東京土木出張所
〔1927〕) (9104683489)
- キーワード
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- 標高
- 等高線
- 地図
- 近世式地図
- 陸地測量部
- 国土地理院
- 明治
- 平均海面
- 日本水準原点
- 真高
- 測量
- 量水標
- 日本水位
- 習志野原
- 霊岸島
- 東京湾
- 利根川
- 江戸川
- 飯沼
- 堀江
- リンド
- 照会先
-
- 国立国会図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000104182