レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年03月02日
- 登録日時
- 2011/07/27 15:31
- 更新日時
- 2011/12/14 15:41
- 管理番号
- 埼浦-2011-025
- 質問
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解決
京北高等歯科医学校について知りたい。
- 回答
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『埼玉県教育史 5』(埼玉県教育委員会 1972)
第二節 各種専門学校
p524-528 京北高等歯科医学校
1 設立と変遷
「この法律改正によって中学校を卒業し専門教育(歯科医学)を三年以上受けた者でなければ、受検資格がなくなることになった。こうした動きを背景に設立されたのが京北高等歯科医学校である。設立者は大久保通次である。(中略)大正十五年十月一日、現在の浦和市岸町七丁目五番地で授業を開始した。」
「その後、入学志願者はしだいに多くなり、(中略)翌(昭和)7年には生徒定員を二百四十名から四百名に増員した。」
「昭和十年代になると、歯科医学専門学校へ昇格させるため同窓生、在校生、学校が一体となって、京北歯科医学専門学校昇格期成同盟会を組織し、全国的な活動を展開した。」
「戦争がしだいに激烈となってきたため、運動はついに中止された。」
「よき後継者に恵まれず、戦後の学制改革による大学への昇格も望みなく、自然廃校となった。」
2 教育内容
p526「本科の修業年限は昼・夜間部ともに三年で」とあり、「学科課程並びに毎週教授時数」の表あり。
3 教員と生徒
p526-527 教員
「発足当初の講師陣は、日本大学歯科教授三人、東京歯科医学士五人、愛知医学士一人、海軍軍医大佐一人、薬学士一人、慶応大学医学部助手三人、文学士二人の十六人であった。学校職員は校長以下七人で~」とあり。
p527 生徒
「全期間にわたる入学志願者や生徒については不明なところが多いが、」とあり。
昭和17年度の学年別人員の表あり。
p528 卒業生
「昭和四十年の京北高等歯科同窓会会員名簿によれば、確認できたものは九二二名に達している。」とあり。
『京北 1』(京北高等歯科文芸部 1929)
京北高等歯科医学校校友会の会誌 巻頭言は大久保通次、文芸作品が主だが、部活動の様子を伝える「部報」等も掲載されている。
『浦和市史 通史編 3』(浦和市 1990)
第5章 大正・昭和初期の教育
p540-543 各種学校と職業学校
p542「大正十五年六月には京浜高等歯科医学校が設立された。同校は歯科医師を目指す中等学校卒業者に三か年の専門教育を施し、改正歯科医師試験の受験資格を与えることを目的とする、専門学校に類する各種学校であった。
開設者は大正九年浦和に開業した歯科医大久保通次である。
同校では、入学志願者の増加に応じて、昭和四年には夜間部を併設している。さらに昭和六年には広い校地を求め大宮に移転するが、昭和十四年には浦和に再移転している。それは専門学校昇格運動の関係からであった。」とあり。
『埼玉県教育史 5』を参考に書かれている。
その他調査済み資料
『埼玉人物事典』(埼玉県 1998)
p165「おおくぼ つうじ(大久保通次)」京北高等歯科医学校の設立者。
『武州このごろ記』(日本公論社 1935)
p83-85「借金を苦にする勿れ」大久保通次のエピソード、ただし京北高等歯科医学校に関するものではない。
『埼玉評論 6-4』(埼玉評論社 1938.4)
「浦和人物鳥瞰」p158「大久保通次氏」あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 歯科学 (497 9版)
- 参考資料
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- 『埼玉県教育史 5』(埼玉県教育委員会 1972)
- 『京北 1』(京北高等歯科文芸部 1929)
- 『浦和市史 通史編 3』(浦和市 1990)
- キーワード
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- 京北高等歯科医学校
- 教育史-埼玉県
- 専門学校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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定番事例
埼浦-1996-069
(https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000019128)
埼浦-2008-011
(https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000049605)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000089273