レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年02月11日
- 登録日時
- 2010/02/11 14:49
- 更新日時
- 2010/03/04 15:43
- 管理番号
- 山形県-2008-0031
- 質問
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解決
宝永2年「神宮寺縁起」(大物忌神社吹浦口の宮文書)を探している。荘内史料、その他に掲載されていないか。
- 回答
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当館の資料の中で「神宮寺縁起」について関連記載のあったのは、下記の1冊です。
「鳥海山」P223に『吹浦神宮寺の慈覚大師開基伝承(宝永ニ年(1705)「神宮寺縁起」大物忌神社吹浦口ノ宮文書より)』として、内容は次の通りです。
『鳥海山は吹浦より慈覚大師の開基ニて(以下略)鳥海山・月山両所大権現、毒鳥を平ケ(中略)開基の節慈覚大師自筆の金胎両部の曼荼羅、同大師の絵像、木像、十二天の版木、山王の版木、いずれも御自筆にて(以下略)』
ただ、「神宮寺」について、その名が出てくるのはまだ早く「遊佐町史上巻P283~『神宮寺と神仏習合』の項中、「出羽国にも古代から神宮寺が存在していた。『日本三代実録』仁和元年(885年)11月21日条に、秋田城中とともに飽海郡神宮寺西浜で石鏃が雨降ると記録されている。また『延喜式』(巻二十六主税上)の「諸国出挙正税公廨雑稲(くげぞうとう)」には月山大物忌神祭料ニ千束などどともに神宮寺料一千束とあって、神宮寺の実在していたことがうかがわれる。」の記載があります。
「山形県史蹟名勝天然記念物調査報告第5輯」P33には、上記同様の記載に続き「吹浦に在りて明治初年廃毀となりし神宮寺なることは明かなり。神宮寺は僧侶が佛法を以て神に仕ふるものにして・・・大物忌神は役小角の開きし所とし、後には慈覚が續きて開きし山なりと傅ふるは、神宮寺社ソウの所傅なるべし。」との記載があります。
「山形県郷土研究叢書7名勝鳥海山」P33~48も同様神宮寺の創設に関しての記載があります。
ほかに、「遊佐町史資料第1号鳥海山資料(鳥海山史)」P50~「吹浦修験」の項中には、『吹浦神宮寺血脈』の記載があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神道思想.神道説 (171 9版)
- 各宗 (188 9版)
- 参考資料
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資料①鳥海山-自然・歴史・文化-/鳥海山大物忌神社式年遷座記念誌刊行会編/1997(K291/チヨ)
資料②遊佐町史上巻/遊佐町編/2008(K220.5/ユザ/1)
資料③山形県史蹟名勝天然記念物調査報告第5輯/山形県編/名著出版/1974(YK290.2/ヤマ/5)
資料④名勝鳥海山(山形県郷土研究叢書第7巻)/安斎徹著/国書刊行会/1982(YK290.12/アン)
資料⑤遊佐町史資料第1号/遊佐町史編纂委員会編/遊佐町/1977(K220.5/ユザ/1)
※( )は自館の請求記号です。
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資料①鳥海山-自然・歴史・文化-/鳥海山大物忌神社式年遷座記念誌刊行会編/1997(K291/チヨ)
- キーワード
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- 鳥海山
- 神宮寺
- 遊佐町(山形)
- 大物忌神社
- 神仏混淆
- 鳥海山修験
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000063096