レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2019/07/07 10:41
- 更新日時
- 2020/03/24 13:20
- 提供館
- 福井県文書館 (9000002)
- 管理番号
- 2019-007
- 質問
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解決
『万葉集』に登場する福井県ゆかりの人物と福井県の地名について教えてほしい。
- 回答
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1.『万葉集』に登場する福井県ゆかりの人物
・大伴宿禰池主(おおとものすくねいけぬし):万葉集の編さん者とされる大伴家持(おおとものやかもち)の親戚。池主と家持は互いに歌を詠みあう仲だったことで知られる。池主は天平20年3月15日以前に越前掾として越前に赴任した。天平勝宝2年4月3日、家持は長歌と短歌を越前にいる池主に贈っている。
・中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ):2人の贈答歌63首は『万葉集』十五におさめられ、古来より名歌として喧伝された歌が少なくない。宅守が越前味真野(越前市)に配流された事情や年月日については、史料には明確に記されていない。一方、赦免についても詳細はなお判明していないが、『続日本紀』天平16年6月15日条に宅守が大赦の選に洩れたことを記しており、天平宝字7年には従五位下に叙せられているから、その間に赦免されたことを知りうるのみである。『万葉集』巻15によれば、宅守が茅上娘子を娶ったこと自体が罪にあたったような書きぶりであるが、「夫婦」とあるというところをみれば、両者の婚姻は公認されたようでもあり、やや曖昧である。
・笠金村(かさのかなむら):万葉歌人として知られる。金村は、おそらく天平6年頃、越前国守となった石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)(『続日本紀』などに越前守補任の記事はみえない)に従って越前に来たと思われる。
2.『万葉集』に登場する福井県の地名
・丹生の山辺:『万葉集』に収録された、家持の歌に次のようなものがある。
われのみし 聞けばさぶしも 霍公鳥(ほととびす) 丹生の山辺に い行き鳴かにも
「丹生の山辺」は特定の山を指すというより、越前国府周辺の丹生の山々くらいの意味と考えられている。
・日野川:同じく、『万葉集』に収録された、家持の歌に次のようなものがある。
叔羅川 瀬を尋ねつつ わが背子は 鵜川立たさね 情なぐさに
「叔羅川」は越前国府の近くを流れる今の日野川であると推定される。しかし、その読みについては「しくら」「しらぎ(しらき)」の二説がある。「しくら」説が通説的地位を占めている。
・鹿蒜・五幡:同じく、『万葉集』に収録された、家持の歌に次のようなものがある。
かへるみの 道行かむ日は 五幡の 坂に袖振れ われをし思はば
これは田辺福麻呂(たなべのさきまろ)の帰路を思いやった歌で、「かへるみ」は鹿蒜(かびる)の地名に「顧みる」の意味を掛けているようである。今庄町(南越前町)にはかつて「帰」という地名が残っていたが、市町村合併の影響で現在はない。また、「五幡(いつはた)」も敦賀市の地名として現在も残っている。鹿蒜から五幡へは山中峠を越えねばならず、五幡の坂とはそのあたりの峠路を指していると思われる。
・味真野:『万葉集』一五に中臣宅守が狭野茅上娘子を娶って流罪に処せられ、越前国に流されたとある。流罪地は狭野茅上娘子の歌から、越前国味真野(越前市)であったことが分かっている。神亀元年3月、流罪の場所を伊豆・安房・常陸・佐渡・隠岐・土佐を遠流、諏訪・伊予を中流、越前・安芸を近流と決めていることから、宅守は流罪のなかでも軽かったことが分かる。
- 回答プロセス
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1.福井県文書館公式HPのデジタル歴史情報のフリーワード検索で「万葉集」というキーワードで検索
『福井県史』『図説福井県史』に万葉集と福井県とのかかわりについて記述されていた。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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福井県 編 , 福井県. 福井県史 通史編 : 原始・古代 1. 福井県, 1993. (福井県史)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I025171328-00 -
福井県 編 , 福井県. 図説福井県史. 福井県, 1998.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002682127-00 , ISBN 4938772108
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福井県 編 , 福井県. 福井県史 通史編 : 原始・古代 1. 福井県, 1993. (福井県史)
- キーワード
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- 万葉集
- 福井県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000258428