レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2017/11/28 18:56
- 更新日時
- 2019/03/10 16:55
- 提供館
- 福井県文書館 (9000002)
- 管理番号
- 2017-015
- 質問
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解決
丸岡藩を治めていたことがある本多氏の丸岡藩時代の家臣団について分かる資料はないか。家臣の由緒や出自などを知りたい。
- 回答
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丸岡藩の家臣団について分かる資料は数少ない。
1848年(嘉永元)に作成された「丸岡藩鑑」は丸岡藩の分限帳ではあるが、当時は有馬氏が丸岡藩を治めているため、本多氏の丸岡藩時代の家臣団については分からない。
また、当館所蔵の資料には丸岡藩ゆかりの三上豊尚家に伝わった資料があり、その中に寛永年間の分限帳があった。しかし、中を見ると「有馬」という名字の人物が複数おり、有馬氏が丸岡藩に移ってくる前に作成されたものだと考えられる。そのため、本多氏の丸岡藩時代の家臣団は確認できない。
その他には丸岡藩の家臣団について分かる優良な資料はみつからなかった。
- 回答プロセス
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1.福井県立図書館の郷土のページを閲覧。
「越前若狭「給帳・ 越前若狭「給帳・ 分限帳・由緒書 分限帳・由緒書 」収載書一覧を発見。『丸岡城略史』(五徳会 1974年)に「丸岡藩鑑(円陵)」が収録されており、1848年(嘉永元)4月改正の分限帳であることが紹介されている。
2.当館のデジタルアーカイブで「分限帳」「給帳」「家臣」「家人」と入力して検索。
X0149-00048「寛永二年乙丑、同八年辛未分限帳、寛永九年七月十二日肥後口御出張御人数覚」X0149-00049「寛永分限帳(写)」(いずれも三上豊尚家文書)などを発見。しかし、いずれも資料中に「有馬」という名字の人物が複数いるため、有馬氏の家臣について記述されていると考えられる。
同じく、C0019-00564「円藩武官前録 下(丸岡藩分限帳大概)」(浄光寺文書)を発見したが、こちらの作成年月日は1786年(天明6)閏10月であった。そのため、やはり有馬氏の治世に作成された資料であった。
3.『福井県史』『図説福井県史』『丸岡町史』を閲覧。
家臣団についての詳しい記述はない。家臣の名前は登場しているものの、由緒や出自などはほとんど記述がない。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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五徳会 編 , 五徳会. 丸岡城略史. 五徳会, 1974.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I050944986-00 -
福井県 , 福井県 編. 福井県史 通史編 3 (近世 1). 福井県, 1994.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002628397-00 , ISBN 4938772051 -
福井県編 , 福井県. 図説福井県史. 福井県, 1998-02.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000208415-00 , ISBN 4938772108 -
丸岡町史編集委員会編. 丸岡町史 増補改訂 増補改訂. 丸岡町, 1989-10.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000015015-00
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五徳会 編 , 五徳会. 丸岡城略史. 五徳会, 1974.
- キーワード
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- 丸岡藩
- 本多氏
- 家臣
- 給帳
- 分限帳
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000225574