レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月25日
- 登録日時
- 2020/04/23 10:55
- 更新日時
- 2021/01/23 11:13
- 管理番号
- 会津ー11
- 質問
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解決
若松賤子の父親・松川勝次郎について
①阿弥陀町(若松賤子生家)について ②松川勝次郎の養父・松川栄喜について ③松川勝次郎が箱舘戦争に参戦したか
- 回答
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①阿弥陀町について
阿弥陀町は郭外(外堀の外側)にあり、通りの長さ約105.5m、道幅約5.5m、家数は25軒で中・下級武士の住まいがあった。幕末の城下絵図を調べたところ、「松川」という藩士の屋敷が1件あり。苗字だけで名前は書いていない。
②松川栄亀について
戊辰戦争後、新潟で謹慎した藩士の名簿の中に「松川栄亀」の名前あり。「帰農商人名簿」を調べたが、「松川栄亀」の名前は無し。明治初期の住居や店舗まで分かる詳細な地図の所蔵は無く、確認できず。
③松川勝次郎が箱館戦争に参戦したか
明治4年に作成された『元斗南藩貫属各府県出稼戸籍簿』(北会津郡役所文書)に、以下のことが記載されている。
岩代国福島県管内 高子町 熊坂宇右エ門出稼
松川勝次郎 辛未年三十八
曾祖母 同 七十二
妻 同 二十九
長女 同 八
二女 同 五
『元斗南藩貫属各府県出稼戸籍簿』とは、斗南藩籍から外され会津に残された残留藩士の戸籍簿。出稼ぎ先、名前(男性のみ)、明治4年辛未年時点での年齢が記されており、「長女」は若松賤子と思われる。「高子町」は、現在の伊達市保原町上保原高子。庄司吉之助著『世直し大明神菅野八郎』によると、「熊坂宇右エ門」は高子村の名主で、二代目宇右衛門の代(明和、寛政間)は台州と号して朱子学及び心学を研究し、三代目、四代目宇右衛門も心学を研究した。
箱舘戦争に参戦した会津藩遊撃隊の名簿に松川勝次郎の名前あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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ウィキペディア
- NDC
- 参考資料
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会津史談会. 会津史談会誌 (46). 会津史談会, 1972-05., ISSN 03860353
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000143645-00 (p101) -
北海道幕末維新史研究会 編 , 北海道幕末維新史研究会. 北の幕末維新 第2号. 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I025122023-00 (p6-7) -
会津若松市史研究会 編 , 会津若松市史研究会. 会津の史的風景 : 町、町並、街道を歩く. 会津若松市, 2006. (会津若松市史 ; 19(文化編 6 町並))
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008158163-00 (幕末会津若松城下郭内絵図) -
福島県史学会. 福島史学研究 (8)(14). 福島県史学会, 1969-06., ISSN 02874563
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002346756-00 (p12-15) -
日本歴史地名大系 第7巻 (福島県の地名). 平凡社, 1993.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002269418-00 , ISBN 4582490077 (p710-713,p1002-1003) -
河内山雅郎 著 , 河内山, 雅郎, 1926-. 維新長会志譜 後編. 河内山雅郎, 2001.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003028898-00 (p46-53) - 元斗南藩貫属各府県出稼戸籍簿(北会津郡役所文書). (p17-18)
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会津史談会. 会津史談会誌 (46). 会津史談会, 1972-05., ISSN 03860353
- キーワード
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- 若松 賤子
- 松川 勝次郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000280943