レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/4/23
- 登録日時
- 2020/07/15 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000826
- 質問
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解決
【安政3年の参勤交代の際、13代前田斉泰が二俣に行った理由について】 安政3年4月に江戸を出発した斉泰は、いつもと違うルートで裏街道を通り二俣に寄って、金沢に帰っている。二俣に行った理由が書かれた資料はないか。
- 回答
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『加賀藩史料 藩末編上巻』(11801640)で二俣に行ったことが書かれていることは、確認済とのこと。
質問者としては、その年2月に子の直会が死んでいることと何かつながりがあるのではないかと推測しているとのことだった。
・『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)で斉泰の子直会を確認、『加賀藩史料 藩末編上巻』p764 に「2月14日子清之介逝去す」の記載あり(清之介は直会の幼名)。
・『加賀藩史料 藩末編上巻』p778「御献上紙等御料紙由緒覚帳」に、斉泰が江戸を発つ前に二俣で御料紙の紙すきを見たいと言い、帰国の際、越中から二俣に来たことが書かれていた。
・『山の民物語』(118419580)p223に斉泰が江戸から帰還の際、「途を荒山越にとられ二俣なる山田弥次兵衛の紙漉を観られ三ノ坂を経て小坂村」で休憩をとったとの記載あり(出典:『加賀河北の史的文化と地的景観』)。
・その他斉泰関連資料に記載なし。
・近世史料館職員にも確認したが、資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000284613