レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/4/21
- 登録日時
- 2020/07/15 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000825
- 質問
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解決
【本願寺金沢別院の立地について】 一向衆が金沢御堂を退去した後に代替地を与えられた理由を知りたい。
- 回答
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代替地を与えられた理由について書かれた資料は確認できなかったので、関連するものとして、別院の縁起が書かれた資料と金沢城下町の都市計画や寺院配置について書かれた資料を案内した。
『加越能寺社由来 上巻』(118355330) 「寺社由来書上」p.445「西本願寺金沢別院」に沿革が記されている。
『本派本願寺金沢別院本堂調査報告書』(109075515)p.1~「創立と沿革」には、「當別院の旧跡は藩主前田公の居城となり御城替の後、藩祖高徳院殿利家卿の室高畠氏が御城内に於て弥陀仏の像を拾い上げられ、旧主を尋ねて本願寺へ寄附されることになり、これが当別院の再興の端緒となって、天正十一年(一五八三)六月袋町に百間四方の寺地を賜り本堂を再建した。」とまとめられている。
近世初期の寺院配置政策については、以下の資料に言及がある。
『金沢・再発見』(118412365)p.245~「一向一揆勢力の中心となった有力寺院・道場勢力を潰すため、まず有力寺院・道場を加賀農村地帯から金沢に移し農村と隔離することであった。」と記されている。
『伝統都市の空間論・金沢』(118412454)にも城下町の都市プランについて書かれている。p.48~「寺院の移動」に寺院の配置について書かれている。
城下町プランの新しい成果として、『城下町金沢論集 第1分冊』(109218841)「日本の城下町と金沢城下町-発展過程と空間類型-」があり、寺院の配置に関する記述もある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000284612