レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/6/1
- 登録日時
- 2018/07/28 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000655
- 質問
-
未解決
【卯辰山の臥竜洞と碑の所在について】 卯辰山(うたつやま)の臥竜洞(がりゅうどう)前にあるという阿閉政太郎(あとじせいたろう)の顕彰碑の詳しい所在を知りたい。
- 回答
-
【質問者による事前調査事項】
①『書府太郎 上巻』(118458293)
p.16-17「阿閉政太郎」の項目があり、「卯辰山の臥竜洞前に顕彰碑がある。」と記載がある。
②『せゝらぎ 第2集』橋本政男/著 好文社 1958 p.225
当館に所蔵のない資料のため、手がかりを求めて石川県立図書館に照会した。
→「あとがき」には碑の由来は載っていません。しかしその前の部分(p.224)「新田素堂翁と編集子」に次の記述があります。「一例をあげると、卯辰山臥竜洞前に、板屋兵四郎、阿閉(あとじ)政太郎翁の碑のほか臥竜洞碑、殉労塚、万人筆塚はみな大乗会釈尊講の事業として建てられたものである。碑文と筆者は素堂翁である。」
③『渡米日記酪農四十年』阿閉温三/著 1958 p.105
当館に所蔵のない資料のため、手がかりを求めて石川県立図書館に照会した。
→「後記」の部分には碑文については書かれていません。しかし同書p.89~90「阿閉翁碑」という章があります。ここには大部分阿閉政太郎の略歴が掲載されているのですが、最後に碑について次のように記されています。
(以下引用)
依て縁に碑を立て其の徳行を賛仰し略歴を刻し、世の亀鑑として後世に伝へんとす。
昭和三十年八月十七日
撰文 新田祭堂
大乗会
釈尊講
【当館における調査】
臥竜洞についても阿閉政太郎の顕彰碑の所在についても、記載されている資料を見つけることができなかった。
『卯辰山碑マップ』(109086143)
卯辰山にある碑を一覧で見ることができる。板屋兵四郎、阿閉政太郎の碑、臥竜洞碑、殉労塚、万人筆塚に該当しそうな碑の記載は見当たらない。その他以下の資料についても前述の碑の記載は見つけられなかった。
『卯辰山案内』(119552834)
『校下の史蹟めぐり 卯辰山』(119554169)
『金沢卯辰山宮の杜懐古』(11906881)
『卯辰山 宮の杜史蹟』(109255540)
『卯辰山 史跡街道』(119366365)
『卯辰山と浅野川』(109069779)
『石碑でめぐる金沢歴史散歩』(118553659)
『牧畜一代記』(再版)(119564559)
阿閉政太郎の息子である阿閉温三の著作だが、当該碑についての記載は見当たらなかった。
『四季こもごも 金沢の街と坂と卯辰山』(118457330)
臥竜洞そのものかは不明だが、p.30-31、p.42-43に卯辰山の地下通路についての記事がある。著者は「おそらく、洞窟の起点は観音院だろう。そして、一方はハッタロウの穴、つまり浅野川のほうへ抜けている。」と推測している。
また、事前調査資料③の日付をもとに、当時の北國新聞(市内版、河北版)と北陸新聞のマイクロフィルムを見たが、大乗会や釈尊講に関する記事はなかった。
〇臥竜洞について
『加能郷土辞彙』(改訂増補)(119865516)p.227
『加賀志徴 下編』(11824805)p.417
に「臥竜山」についての項目はあるが「臥竜洞」の記述は見当たらない。
〇阿閉政太郎について
事前調査資料①によると、教育者で、金沢におけるキリスト教の布教にも携わっていたとのこと。以下のキリスト教関係の資料に名前は散見されるが、碑についてはわからない。
『金沢日本基督教会五十年史』(119537909)p.177
『北陸学院100年の歩み』(119781944)p.22、28、59
『北陸のキリスト教』(109202046)p.181
『金澤教會百十年史』(109068987)p.157、160、374
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000239682