レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2008/11/20 15:28
- 更新日時
- 2008/11/20 16:12
- 管理番号
- 宝塚-081120
- 質問
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解決
メタセコイアと宝塚の関わり
- 回答
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『メタセコイア』斎藤清明/著(中公新書1995年刊)のp.41に「メタセコイアMetasequiaという名は、1941年、京大理学部講師の三木茂によってつけられる。」とある。同書の第二章はメタセコイアと命名した植物学者三木茂の詳しい伝記に当てられているが、p.59には1951年~74年に73歳で亡くなるまで過ごした(宝塚市)平井山荘の自宅に植えられたメタセコイアの白黒写真が掲載されている。『メタセコイア』p.122の記述では「(1951年の)翌年庭にメタセコイアを挿木で植えておいた。その翌年にはメタセコイアとセコイアを苗木で一本ずつ。」となっている。
また、『メタセコイア』p.169には、カリフォルニア大学からメタセコイア保存会に送られてきた苗木100本のうちの50本を三木が京都に汽車で持ち帰り、そのうちの2本が宝塚植物園に分配されたことが書かれている。
また、同p.173に、カリフォルア大学の古生物学者チェイニーが1950年8月24日に三木や木原とともに訪れ、そのときの挨拶などが書かれており、「ちょうどこの日は、チェイニーの60歳の誕生日だった。日本では還暦である。少女歌劇を見たあと、郡場や木原、三木らはチェイニーを植物園内の料亭に招いて、ウナギの蒲焼でお祝いをした。」という記述もある。
また『宝塚大事典』p.123に「日本の最高樹齢のメタセコイア」として「三木博士はそのうち3本を宝塚市平井山荘の自宅にも…」という記述があり、少し本数に違いがある。また、この頁には「平井山荘のメタセコイア」としてカラー写真が掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 裸子植物 (478 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- メタセコイア
- 宝塚
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000049128