レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/02/15
- 登録日時
- 2020/03/03 00:30
- 更新日時
- 2020/03/03 00:30
- 管理番号
- 6001008662
- 質問
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解決
野﨑武左衛門翁旌徳碑を建碑した石工・藤田市太郎について知りたい
- 回答
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野﨑武左衛門翁旌徳碑は、1892(明治25)年着工。
枢密院副議長・東久世通禧伯爵による碑銘揮毫、工学士・山田寅吉による設計。
作図と建碑は備中倉敷石工・藤田市太郎(1854~1905年)。屋号は石屋。倉敷川沿いの土手町(現・本町)に住んでいた。
市太郎は江戸末期の文化年間に児島郡天城町から倉敷に移り住んだ太吉、その長男の徳松、徳松の次男市太郎と親子三代の約100年にわたって、いずれも名石工として、倉敷を中心に神社・寺院の狛犬、地蔵、観音、道しるべ、記念碑など見事な石造物を遺した石工一家の最後を飾る人物であった。
市太郎は石碑を専門に手がけており、倉敷市内を中心に「津田永忠碑」「犬飼松韻先生碑」「鴨井熊山碑」「松本正忠墓」「井上竹苞碑」「犬飼松窓碑」「大原確堂碑」「拘節先生碑」「方谷山田先生碑」「梧陰林翁旌徳碑」「佐藤氏塋域之碑」などの作品を残した。
市太郎の死後、遺族は倉敷を去ったと伝えられているが、太吉、徳松、市太郎の三代夫婦は倉敷市船倉町の生目八幡宮南側の同家墓地に眠っている。
出典:「倉敷とエジプト趣味ー野﨑武左衛門翁旌徳碑について」鈴木まどか/著
(『倉敷の歴史13号』 2003年 収録)
「石工・藤田三代」芳本 重次郎/著
(『備中の倉敷こぼれ話』 芳本 重次郎/著 2002年 私家版 収録)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 倉敷の歴史第13号倉敷市史研究会/編倉敷市 (p18~35)
- 備中の倉敷こぼれ話芳本 重次郎/著 (p25~32)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土,人物
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000275069