レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年10月
- 登録日時
- 2011/08/10 11:55
- 更新日時
- 2015/07/15 11:57
- 管理番号
- nerima-光が丘-0011
- 質問
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解決
練馬城(ねりまじょう)というのがあったそうだが、現在のどのへんにあったのか。
- 回答
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練馬区向山(こうやま)町、豊島園内。(西武池袋線豊島園下車)
・『日本の名城・古城事典』 TBSブリタニカ 1989
豊島城ともいい、石神井城主豊島泰景の弟景村が居住した。現在の豊島園内の花壇が館跡、北東隅の稲荷の
小祠がある小高い場所が櫓跡といわれる。 (練馬区向山町、豊島園内。西武池袋線豊島園下車)
・『日本城郭辞典』 東京堂出版 1995
室町時代初め頃豊島氏が築いたが、没落と共に廃城。遺構地形のみ。内郭とその付近は遊園地豊島園となり、 外郭は住宅になっている。
・『日本城郭大系 5』 新人物往来社 1979
練馬城は向山町の台地に位置しており、北方に石神井川(しゃくじいがわ)が流れ、急崖によって自然の防累を形
成していた。(後略) 2pにわたって解説あり。明治初年『東京府志料』よりの練馬城略図と工事中にでてきた
遺構の写真あり。
・『練馬区小史』 練馬区 1987
【中世の練馬と豊島氏】⇒練馬城(豊島園内)も石神井城と同じ時期に景村によって築かれたと伝えられる。
・『練馬城址遺跡調査報告書 付録5枚付 』 練馬城址遺跡調査団編 豊島園発行 1991
【序文】に練馬城跡は大正15年4月に東京都旧跡指定され、豊島園をはじめ関係者の努力によって保存されてきた。豊島園は、年々増加するプール入場者に対応するため、ウォータースライダー設置を計画、今回の調査に至ったものである。昭和62年調査を始め、石神井川を望む舌状の台地上に立地し、城址中心部は土塁を除き良好な状態で遺存しており、中世城郭の占地が明らかであった。調査では基礎位置を中心に調査し、濠などの遺構を確認することとした。
・『東京都江戸東京博物館研究報告 第15号』 江戸東京博物館 2009.3
東京都江戸東京博物館シンポジウム「太田道潅と城館の戦国時代」⇒論文「石神井城跡と練馬城跡の発掘調査成果 」に練馬城跡本丸の推定地は昭和54年の豊島園整備工事の際の東京都教育委員会の緊急調査で「空堀の底幅1.7m、上幅5m程度、深さ3m程度であることが確認されている。豊島園内のプールの部分が主郭で「約100m四方の方形郭で、北側の石神井川に面する崖線を除く三方に空堀を巡らし四方を土塁で囲む。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『日本城郭辞典』 東京堂出版 ISBN:4490103972
- 『日本の名城・古城事典』 TBSブリタニカ ISBN:4484892081
- 『日本城郭大系 5』 新人物往来社 1979
- 『練馬城址遺跡調査報告書 付録5枚付 』 練馬城址遺跡調査団編 豊島園発行 1991
- 『東京都江戸東京博物館研究報告 第15号』 江戸東京博物館 2009.3
- キーワード
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- 練馬
- 城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000089796