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レファレンス事例詳細(Detail of reference example)

[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000254215
提供館
(Library)
八王子市中央図書館 (2310074)管理番号
(Control number)
HC-19010806
事例作成日
(Creation date)
2019/01/01登録日時
(Registration date)
2019年03月31日 00時30分更新日時
(Last update)
2019年04月09日 16時04分
質問
(Question)
板垣退助の旧姓は乾(いぬい)といったが、板垣を名乗ることになったのはいつのことで、どのような経緯があったのかを知りたい。
回答
(Answer)
『板垣退助』(1990年 PHP研究所)のp201~p206板垣退助略年表に「明治元年(1868)3月6日甲州勝沼に戦勝、この頃乾姓を改め板垣氏を称す。」と記載があります。
上記年表によると板垣退助は高知城下(土佐藩)で生まれたとあり、『三百藩家臣人名事典 第六巻 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 』(1989 新人物往来社)で、乾姓をみると、「乾和三(いぬい かずみつ)」があります。記述の最後の方に、子孫に乾退助がおり、戊辰戦争の時に板垣姓に復したと記されています。
また上記『板垣退助』p9に、「乾家の祖先は、甲斐の武田信玄に仕えて勇猛を謳われた板垣駿河守信形である。信形は天文十六年(一五四七)、上田の戦いで戦死し、遺児の正信が家来に守られて遠江掛川の乾備後を頼った。成長した正信は乾家を継いで山内一豊に仕え、山内家とともに土佐に移ってきた。正信には子が生まれなかったので、山内一豊の次男正行を養子にもらった。これが土佐の乾家である。」という記載がある。
また、『角川日本姓氏歴史人物大辞典19山梨県』p167~p168「板垣」の項にも「板垣退助家の祖は武田家臣板垣信方と伝えられ、その後翁が土佐山内氏に仕えて乾氏を称し、知行三〇〇石・馬廻りに列したという。明治元年 三月五日東山道総督府参謀として甲府に入城したとき、退助自ら信方の裔と称している。」と記載されている。
板垣信方については、『板垣退助』では「信形」表記になっていますが、『戦国時代人物事典』(2009年 学研パブリッシン)、『戦国人名辞典』(2006年 吉川弘文館)では「信方」表記となっています。
回答プロセス
(Answering process)
事前調査事項
(Preliminary research)
NDC
系譜.家史.皇室  (288)
参考資料
(Reference materials)
B11282640 板垣退助 高野澄/著 PHP研究所 1990.1 289.1 4-569-52668-3
B11274383 三百藩家臣人名事典 6 家臣人名事典編纂委員会/編 新人物往来社 1989.10 281.033 4-404-01651-4
B11270575 角川日本姓氏歴史人物大辞典 19 角川書店 1989.6 288.1 4-04-002190-8
キーワード
(Keywords)
板垣退助
照会先
(Institution or person inquired for advice)
寄与者
(Contributor)
備考
(Notes)
調査種別
(Type of search)
文献調査
内容種別
(Type of subject)
一般
質問者区分
(Category of questioner)
一般
登録番号
(Registration number)
1000254215解決/未解決
(Resolved / Unresolved)
解決
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