レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/11/22
- 登録日時
- 2020/04/19 00:30
- 更新日時
- 2020/05/07 11:51
- 管理番号
- 6000051122
- 質問
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解決
1:今在家町、2:北条町、3:利倉、4:刀根山。
地名の由来と、いつごろからその地名となったのか歴史的経緯を知りたい。
「2」「3」は読みの由来も知りたい。
- 回答
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それぞれの歴史は、『大阪府の地名Ⅰ』(平凡社)、『角川日本地名大辞典 27』(角川書店)を参照。
市域における各地域の位置は『新修豊中市史 第1巻通史一』p.520に図「近世豊中の郷・庄」あり。
1.今在家町
『大阪難読地名がわかる本』(創元社)pp.156
「在家とは新田のことである。今は「新しい」という意味であるから、新田のなかでも新しいものをさしていることになる。」
2.北条町
・2011/06/22受付の事例を参照。
・地名の由来は正確なことは分かっていない。(『創立百年』(小曽根小学校)、『北条覚書』(北条小学校PTA))。『大阪難読地名がわかる本』p.157には「条は条里制の名残を表す言葉」とあるが、『北条覚書』(北条小学校)p.33には「北条という地名も矢張り条里制と関係があると思われますが、正確なことは分かりません。」とあるように説が分かれている。条里制との関係は『豊中市史 第1巻』、『新修豊中市史 第1巻通史一』pp.144-146。
・読みの由来は見つけられなかった。『角川日本地名大辞典』に「喜多条とも書いた」とある。
3.利倉
・2014/05/02受付の事例を参照。
・『大阪難読地名がわかる本』、『大阪の地名由来辞典』(東京堂出版)には、地名の由来は不明ということが書かれている。中世の利倉庄については『新修豊中市史 第1巻通史一』に詳しい。
・読みの由来は見つけられなかった。『大阪府の地名Ⅰ』によると1605年の摂津国絵図には「戸蔵村」と表記されている。
4.刀根山
・『刀根山雑記』(豊中市立刀根山小学校)p.4
古代、豊島地方には渡来人が多く、その中の答本氏がのちに麻田氏となった、ということが書かれており、続けて、「また答本を訛って刀根といい、刀根山の起名となったという。」とある。答本氏については『新修豊中市史 第1巻通史一』p.168-169に詳しい。
・『大阪難読地名がわかる本』p.157
「地名の由来は不詳だが、刀根とは利峰のことで、狭い小尾根を表わす。また刀禰だとすると、神宮や神社の神主の意味になる。」とある。
・『大阪の地名由来辞典』p.264
天文年間(1532~55)、刀根山に砦が築かれ、美濃三人衆(稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就)が在城したため「殿山」と呼ばれたが、後に「刀根山」に転訛したという(『摂津志』)。しかし、実際に稲葉・氏家らが刀根山城に配置されたのは、天正六年(1578)に織田信長が有岡(伊丹)城主荒木村重の討伐に乗り出した時のことである(『信長公記』)。」とある。
- 回答プロセス
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『新修豊中市史 第9巻 集落・都市』p.629に、関西大学の永井氏が、新しい村は今在家、あるいは新田という言葉を使うこと、だいたい近世以降の開発と考えて間違いないことを述べている。豊中の条里遺構については鎌倉時代以降ではないかという見解が出されていることも述べられている。
- 事前調査事項
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難読地名、珍しい地名というテーマでこの地名が上がっている。
- NDC
- 参考資料
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- 『刀根山雑記』 豊中市立刀根山小学校/編 豊中市立刀根山小学校
- 『大阪の地名由来辞典』 堀田 暁生/編 東京堂出版
- 『大阪難読地名がわかる本』 創元社編集部/編 創元社
- キーワード
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- 豊中(トヨナカ)
- 歴史(レキシ)
- 地名(チメイ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 庁内
- 登録番号
- 1000280740